父親は高校の英語教師で、親戚に医師はいなかった。岡田青年は典型的な文系で、数学のテストは100点満点でほぼ10点。高校2年生の夏に理系へ転向するのは無謀ともいえる挑戦だった。それでも猛勉強を重ね、1年の浪人生活を経て、日本医科大学医学部に合格する。受験した医学部は1校だけだった。
「親には迷惑はかけられないので、奨学金を受けて寮に入り、なるべくお金がかからないようにしていました」(岡田医師)
血も注射も嫌いだった少年
そもそも岡田医師は、“血”が苦手だった。注射も嫌いな少年だったという。「小学校6年生のとき、公民館で観た映画『マタギ』で、熊に襲われた女性の青白い手を見て、気持ち悪くなってしまった」という苦い思い出もある。
医学部での最初の解剖実習は、倒れこそしなかったものの、サボりたくて仕方なかったそうである。「その後も解剖のたびにお腹が痛くなり、ご飯も喉を通らなくなって……。1年生の頃は『医師になるのは無理かもしれない』と思っていました」と振り返る。
そんな青年が整形外科医となり、今では自ら手術も行っている。執刀の際は「なるべく血を出さない」「できるだけ切らない」「まずは保存的に治療する」という姿勢を大切にしているという。
群馬県出身の岡田医師だが、実家のある安中市と病院がある上牧温泉は車で1時間ほど離れており、それまで特別な縁はなかった。「柔道仲間が上牧温泉病院の経営陣に私のことを話してくれたんです。すると経営陣2人が、当時、私が勤めていた伊勢の病院まで会いに来てくれて……」(岡田医師)。
熱烈なラブコールを受け、2023年から上牧温泉病院で勤務することになった。大学卒業後は都内の病院勤務が長く、温泉病院で働くのは医師人生で初めてだった。
群馬県へ戻ってきた岡田医師がまず向き合ったのは、父親の介護だった。


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