雅からは「働きすぎですよ、少し休みなさい」とよく注意されたという和。ドラマでは、りんが看護に打ち込む姿が描写されているが、まさに和もそんな働きぶりだった。
いや、実際の和は、ドラマのりんよりも、さらに多忙を極めたといってよいだろう。和が東京に戻ってきたタイミングで、雅は東京看護婦会で「東京看護婦講習所」を開設する。これは看護婦によって創設された日本初の養成所で、和は講師として教壇にも立つことになった。
日頃から和のハードワークぶりには注意していた雅だけあって、講師陣を充実させることで、少しでも負担を減らそうとしたようだ。和以外に4人のベテラン看護婦の専任教員を雇ったうえで、さらに帝国大学病院の医師2人も嘱託として講師に招いている。
それでも「初のトレインド・ナースである和に教えてもらいたい」と希望する学生が多かった。そうなれば、期待に十分に応えたいと考えるのが、和である。看護の現場でも教育の現場でも、和は一切手を抜くことなく、全身全霊でぶつかっていく。報酬に見合わない依頼を引き受けることもしばしばで、時間も必要とあれば無料で延長していたという。
一方で、和は「看護婦資格制度を制定してほしい」と関係省庁も駆けずり回った。身体がいくつあっても足りない、とはこのことだろう。
耐えがたい悲劇に和は仕事の意欲を失う
そんな和が東京看護婦会に辞表を提出したのは、明治34(1901)年のことである。43歳にして新天地で活躍することにした……わけではない。看護婦そのものを辞める決心までしている。一体、何があったのか。
その要因は一つではなかったが、働く意欲を失った大きなきっかけがあった。
それは娘の死である。和の娘・心は結核が明らかになってから4カ月で死去。20歳の若さだった。
【参考文献】
青山誠著『大関和 看護に人生を捧げた日本のナイチンゲール』(角川文庫)
田中ひかる著『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中公文庫)
田中ひかる監修『大関和 明治のナイチンゲールたち』(平凡社)
櫻庭由紀子著『戦う白衣の天使 大関和・鈴木雅ものがたり』(内外出版社)


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