文化理論学者で感情理論の主唱者でもあるサラ・アーメッドは、感情は単なる個人的で私的な経験ではなく、個人やコミュニティの行動、経済活動を含む行動を可能にする社会的事実だと主張した(『The Cultural Politics of Emotion』Edinburgh University Press and Routledge)。今回の件に当てはめると、国家が「特定の生き方、価値観」に感情的な正統性を与えることで、そこに適合しない実在の患者たちの複雑な感情を排除してしまう懸念を示唆している。
おそらく官僚機構は、「いかに効率よく、無関心な層にリーチするか」というKPI(数値目標)の達成に目がくらみ、現代において、最も手っ取り早く人々の注目を集めることができる「感動」や「涙」といった強い感情を引き出せるコンテンツに相乗りしたと考えられる。
その意図の背景にあるのは、「人は刺激的で感動的な物語でしか、他者の困難(福祉制度)に関心を持たないだろう」という、ある種のシニカルなパターナリズム(温情主義)だ。本来、国家が自らの責任で語るべき「普遍的な権利としての福祉」の周知を、商業映画が持つ「エモさ」に依存(アウトソーシング)してしまった。ここに、当事者の尊厳よりも、マーケティング的な「分かりやすさ」と「共感」を優先するポピュリズム的な行政手法が透けて見える。
一方で、高額療養費制度の改悪が行われた皮肉
これが8月から自己負担額が増加している「高額療養費制度」とパラレルに起こったことは大いなる皮肉で、とても暗示的である。患者やその家族が直面する経済的負担という「冷徹な制度後退」の渦中にあって、国家が「涙の感動ストーリー」を広報に掲げるグロテスクさは、まさにこの問題の本質を捉えている。
高額療養費制度の自己負担上限額引き上げは、特に長期治療を余儀なくされるがん患者にとって直接的な死活問題だ。制度というセーフティネットを縮小させながら、広報では「悲劇に健気に向き合う美しい個人」をフィーチャーすることは、構造的・政策的な問題を「個人の生き様や家族愛のドラマ」へとすり替える効果を持ちうる。
福祉の神髄は、誰がどのような状態であれ淡々と提供される権利の公平性にこそある。実効的な金銭的支援を切り詰めながら「感動」を前面に出す広報戦略は、国家が自らの果たすべき「生存権の保障」を棚上げし、安価な「情緒的パフォーマンス」で責任をごまかそうとする姿勢のあらわれと言っていい。


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