湖底に沈んだ遺構が、なぜ再び注目されることになったのか?
その経緯を追った。併せて、たびたび遺構を訪れてきた筆者が今までに撮影した写真や2026年8月の遺構内部の様子と共にレポートする。
稼働わずか3年の「幻の発電所」も
まずは、曽木発電所遺構の歴史について紹介しておきたい。
なぜここに発電所が建てられたか? それは曽木の滝の圧倒的な水量や落差の勢いが発電に適していたためである。また周辺には鉱山があり、採掘で出た水を排水する電気需要があったことも大きな要因だ。創設者は野口遵氏で、この水力を利用した電気事業を計画した。
最初に建てられたのは曽木第一発電所で1907年に完成。初めて大口市(現・伊佐市)に電灯が灯ることになった。
その後1909年には1.5km下流に第二発電所が建設された(これが本記事で主に取り上げている遺構である)。折しも同年、第一発電所は洪水で破損したのを機に閉鎖。第一発電所は稼働が3年と短く、創業時の様子を伝える写真は今のところ見つかっていない。発電所の全容や使われていた機械などは謎のままである。
最初につくられた第一発電所の出力は800キロワット。その後、1909年に完成した第二発電所は最大6700キロワットと、当時国内でも最大級の規模だった。
発電量は当時日本随一で、周辺鉱山の動力源や近隣町村の電灯需要を満たしてもまだ余りがあり、余剰電力の消化を図るために熊本県葦北郡水俣村に日本最初のカーバイト工場建設が計画された。発電所から30キロほど離れた熊本県水俣村(現在の水俣市)に工場がつくられ、ここで生まれた電気が送られるようになった。


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