有料会員登録 東洋経済オンラインとは
ビジネス

「俺は生かされているだけ」障害者の一言から生まれた石けん工房が、半世紀《福祉事業所ではなく、企業》であり続ける理由

18分で読める
「ねば塾」作業場
10年間毎日ほぼ寝ていたという男性従業員(写真中央)は、自分のペースで「白雪の詩」を袋詰めする作業を続けている(写真:筆者撮影)
2/8 PAGES
3/8 PAGES
4/8 PAGES
5/8 PAGES
6/8 PAGES
7/8 PAGES
8/8 PAGES

「みんな(障害者の実情を)『知らない』っていうのが大きいんじゃないですかね。彼らを施設や作業所に隔離するような形では結局何も生まないし、ともすると、津久井やまゆり園の事件のようなことにもつながりかねないと思うんです。やっぱり社会の歯車の一つとして『いてくれてよかったね』という存在になっていかないといけないと思うんですよ」

液体石けんを計量する従業員。気をつけていないと容量を多く測ってしまいがちだという(写真:筆者撮影)

笠原さんは、大手では労力がかかってできないことを細分化して、それぞれの人が安心してできる仕事をいくつも作っておくことが、障害がある人が社会の中で生きていく上でも必要だと考えている。

「彼らじゃなきゃできないことや、いろんな特性がある人がある程度誰でもできて、かつ大きな企業は嫌がるところを仕事にしていくことが、自分の仕事だと思ってます」

「やっぱり、ねば塾で死にたい」

通いたいと思える場所と、社会に必要とされる仕事。その両方を生み出し続けることが、笠原さんの答えだ。

かつて、まさに「通いたいと思える場所」を体現する塾生がいた。ねば塾で初めて商品化した炊き込み製法の石けんをつくっていた成澤元さんだ。商品名はずばり「元(はじめ)ちゃんせっけん」。塩析法を取り入れてからも、成澤さんの商品として販売を続けていた。

今は亡き成澤元さんがつくっていた「元ちゃんせっけん」。3個入りの「手づくりせっけん」とともに今でも製造販売している(写真:筆者撮影)

実は成澤さんは、一度「俺は障害者じゃない」と言ってねば塾を辞めたことがある。その後、別の塾生が作業を引き継いで、「元ちゃんせっけん」の製造を続けた。

しかし、成澤さんはねば塾を離れた後、いろいろな企業や事業所を点々としたのち、癌を患って余命1年と言われると、「やっぱりねば塾で死にたい」と言って戻ってきたという。最期はねば塾のグループホームで暮らし、時々石けんを焚きながら、亡くなっていった。笠原さんが小学生の頃のことだ。

成澤さんから炊き込み製法を引き継いだ柳澤靖さんもまた、長年炊き込み製法で石けんを作り続けた。だが、新型コロナにかかって以来体力が落ち、今は福祉事業所に通う。それでも、「気持ちがまた仕事に向いたら戻ってくるから」とねば塾に籍を置いたままだ。

いくつもの作業場が並んだ先に、グループホームがあるねば塾の敷地内(写真:筆者撮影)

ねば塾はもはや、「通いたいと思える場所」を超え、まさにその名の通り、生活に根を張り、塾生たちの人生を丸ごと支えている。

《合わせて読む→→前編》:「今日できることは明日やろう」「失敗は他人のせい」常識の真逆を掲げる石けん工房が、人気コスメブランドに選ばれた"必然"​

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ビジネス

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数