一方で、お節介なら何でもよいわけではない。「あなたのため」と言いながら、自分の正しさを押し付け、相手の選択を奪うことはよくないという。
高橋さんが大切にするのは、相手に関心を寄せても、選択は相手に必ず返すということ。「こうしたほうがいい」と決め付けず、「あなたはどうしたい」と尋ねる。「助けてあげる」ではなく、「必要なら一緒に考えるよ」と手を差し出すことだ。こうして声をかければ、断られても関係まで壊すことはないという。
「良いお節介には、踏み込む勇気と手放す節度が必要です」
相手のペースを尊重し、手を引くことも上手にお節介を焼くコツだと話す。
高橋さんが立ち上げたおせっかい協会も、決して一人の力だけで全国へ広がったわけではない。高橋さんの「天然お節介」に背中を押された賛同者が、また別の誰かを巻き込み、その輪が人から人へと連鎖していった。
気がつけば活動は全国規模に成長。自分一人では無理だと思えたことも、他者のひと押しで現実になる、協会の歩みは、高橋さんの言葉を体現する一つの事例といえる。
食事に誘いたいけど誘えないジレンマの解消
最近は職場で部下を食事に誘うことさえ難しい時代になってきた。誘う側は、立場の差から圧力にならないかと気を使う。誘われる側も、仕事外の付き合いを負担に感じる場合がある。だが高橋さんは、相手の意思を尊重することを前提に、それでも声をかける価値はあると考える。
「お節介には『あなたを放っておかない』というメッセージも含まれています。効率を大切にする今、食事に誘うことも、参加することも、費用対効果が悪いと思われるかもしれません。それでも、誰かを気にかける少しの余白や余計な関心が、孤立から人を救い、新しいつながりへ導くことがあるんじゃないでしょうか」
社会を少しずつ良くしてきたのは、採算の合わないお節介だったのではないか。
しかし、こういうお節介な声かけの中にこそ、効率だけでは測れない人間関係を築ける価値や良さあるという。AIが台頭する時代に突入した今だからこそ、必要なのは人と人との人間らしいコミュニケーションだとも語る。声をかけて煙たがられたらどうしようと悩み続けても、前には進めない。断られたときは、失敗を笑いに変えればいい。
「自分が好きでやっていることだと思えたら、煙たがられても『まあ、いいか』と思えます」
また、人に手を差し出すだけでなく、差し出された手を受け取ることも大切だと話す。
「気をつかうことが多い世知辛い世の中になったけれど、お節介され上手になるのも大切ですよ」
助けを受け入れることは、弱さではなく、相手との関係を育て、自分の可能性を広げる入口になるからだ。
母と子どもたちを救ったのは、名も知らない誰かの短い手紙だった。大きな制度や立派な言葉でなくても、人を気にかけて動くことはできる。
ただし、主役はあくまで相手。声をかけ、必要なら伴走し、最後は選択を委ねる。仕事も人生も、他人の小さなお節介が、閉じていた誰かの可能性の扉を開く鍵になる。



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