――7月30日にインナー辞任となりましたが、その後は、税調との関係は。
税調には副会長が21人いて、インナーはその中から選ばれます。現在、インナーは9人です。私は副会長の1人ですが、インナーを辞めても、そのまま残ることはできます(編集部注:その後の8月の税調に出席し、減税の懸念点について発言している)。
山中貞則先生の存在感を思い出す
――今回の辞任の判断は、飲食料品の消費税減税問題だけが理由だったのですか。
私は2012年12月から13年9月まで財務副大臣を務めた後、13年10月から税調の幹事になりました。14年9月に経産相に就任し、いったん税調ははずれますが、17年10月に自民党税調の副会長となり、その後にインナーに入りました。女性初のインナーということです。税調でこれだけの期間、ポストをいただきましたが、インナーという組織が、やっぱり変わったと思うんです。私が議員になったばかりのころの税調といえば、山中貞則先生でした。今でも山中先生の存在の大きさを思い出します。
――元通産相で「税調のドン」と呼ばれた山中氏は、04年2月に82歳で他界するまで現職の衆議院議員でしたが、小渕さんは衆院選初当選が2000年6月ですね。
山中先生は、税調の場でくだらない意見はまったく聞いてくれなかったです。単に減税してほしいなどと言うのはまったく無視だった。そうではなく、それがどういう意味があり、社会にどう影響を与えるのか。一業界のためだけに発言したら、ばかにされるというような感じでした。そういう姿勢を見ながら学ばせてもらって育ってきましたので、税調はある意味で、将来を見据えて、国民に対して耳の痛いことを言うところ、増税を決めるところと思っていました。
ですが、25年10月に政権が変わって、税調インナーは総理の意向をかなえるために調整を行う機関になったと思います。私は空気が変わったと感じました。もともとのインナーは私を入れて3人残りました。残してもらえたので、私は私で役割があるだろうという思いでやってきました。税調が開かれれば、役割を果たしてきたし、発言もしてきました。しかし、この消費税減税に関しては、税調インナーとしては、小野寺会長を支えて、総理が実現したいことの調整役になることです。あの1%への引き下げ案を聞いたとき、これを飲み込んでその役割を果たすことは、私には力不足でできません、と申し上げたのです。
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