これは私たちの日常にも数多く存在する。
普段は部下に厳しい表情を崩さない上司が、取引先や自分の上司が現れた瞬間だけ愛想のいい笑顔に切り替わるとしたらどうだろう。それを見ていた部下は、「この人の本当の顔はどちらなのか」という不信感を抱くはずだ。
接客業でクレーム対応に追われていた店員が、次の瞬間には別の客に屈託のない笑顔を振りまいていれば、最初の客は「さっきの神妙な態度は演技だったのか」と感じてしまうかもしれない。
表情の切り替えそのものは、社会生活を送るうえで誰もが日常的に行っている自然な適応行動だ。しかし、それを見ている第三者がいる場では、切り替えの落差が大きいほど、見る側の信頼は損なわれやすくなる。
「期待」と「現実」のギャップそのものが不信感に
こうした反応が起きやすい土壌は、実は高市首相について以前から指摘してきたことでもある。
筆者は以前、高市首相が目鼻立ちのはっきりとした、いわゆる「支配性の高い顔」の持ち主であり、この種の顔は「有能だ」という高評価と「威圧的で信頼できない」という低評価を同時に生みやすいこと、そして一度定着した印象は確証バイアスによってさらに強化されていくことを指摘した(「高市首相"笑顔が消えた瞬間"に不信感が爆発するワケ」)。
今回の「表情の使い分け」への反応の強さも、この土壌の上で起きたものだと考えられる。もともと評価の割れやすい顔立ちを持つ人物が、状況にそぐわない表情の切り替えを見せたとき、その反応は通常よりもさらに増幅されるのだ。
