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キャリア・教育

学校が"夏休みの子ども無料預かり施設"に?文科省の「開放要請」に全国の先生が失望、"困ったら学校にお願い"の危うさ

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図画工作に熱中する子ども
夏休みは家庭の経済状況や生活環境の差が子どもに出やすい(写真:zon / PIXTA)
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確かに、学校給食が止まる長期休業中は、家庭の経済状況や生活環境の差が、子どもの生活に直接表れやすい。涼しく安全に過ごせる場所、必要に応じた食支援、孤立を防ぐつながり……だが、こうした支援は、社会全体で考えるべき課題ではないか。

学校を開放するということは、単に校舎の鍵を開けて場所を提供すればいいということではない。そこに子どもが来るのだ。

子どもが来れば、安全管理が必要になる。出入りの確認が必要になる。熱中症への対応が必要になる。子ども同士のトラブルも起こりうる。けがや体調不良があれば、保護者への連絡や初期対応が必要になる。場合によっては、救急対応も必要になる。

つまり、運営責任が発生する。この点があいまいなまま、「子どもの居場所確保」という言葉だけが先行することに、学校現場の1人として強い違和感を覚える。

現場で実際に問われるのは、もっと具体的なこと

報道によれば、文科省は教員の業務が増える可能性にも触れ、働き方改革に留意するよう求めるという。地域の各種団体やボランティアへの安全管理や見守りの依頼も想定されているとされる。だが、問題はそこにある。

「教員の負担にならないようにする」「地域の協力を得る」「ボランティアに依頼する」……これらは、一見するともっともらしいが、現場で実際に問われるのは、もっと具体的なことである。

誰が鍵を開けるのか。誰が鍵を閉めるのか。冷房の管理は誰がするのか。子どもの出入りは誰が確認するのか。トラブルが起きたら誰が対応するのか。けがをしたら誰が責任を負うのか。保護者から苦情が来たら、誰が説明するのか。ボランティアが来られなくなった日は、誰が穴を埋めるのか。昼食はどうするのか。午前だけなのか、一日なのか。定員を超えたら誰が断るのか。

この問いに答えないまま「学校を開放する」と言うなら、それは制度設計ではない。善意への依存である。

学校は、地域にとって重要な公共施設である。災害時には避難所にもなる。地域の子どもを支える拠点でもある。その意味で、学校施設を地域に開くという発想自体は否定されるべきではない。しかし、学校は「困ったときに最後に頼れば何とかなる無料インフラ」ではない。

ここを取り違えると、あらゆる社会課題が学校に流れ込むことになる。家庭の問題も学校へ。地域の問題も学校へ。貧困の問題も学校へ。安全管理の問題も学校へ。長期休業中の居場所の問題も学校へ。

もちろん、学校は子どものために存在している。だからこそ、学校は子どもの生活課題に無関心ではいられない。現場の教員も、子どもたちが安全に、安心して過ごせることを願っている。だが、願っていることと、何でも学校が引き受けることは違う。

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