大日本帝国憲法がついに公布されると、国民たちは、上を下への大騒ぎとなった。俳句、短歌の革新運動を進めた正岡子規は『墨汁一滴』で、その日のことをこんなふうに描写している。
「朝起きて見れば一面の銀世界、雪はふりやみたれど空はなほ曇れり。余もおくれじと高等中学の運動場に至れば早く已に集まりし人々、各級各組そこここに打ち群れて思ひ思ひの旗、フラフを翻し、祝憲法発布、帝国万歳など書きたる中に、紅白の吹き流しを北風になびかせたるは殊にきはだちていさましくぞ見えたる」
東京市内は大変な騒ぎになり、山車を曳いたり、芸者が踊ったりと、まさに狂喜乱舞ともいうべき様だった。しかしながら、肝心の憲法がどういうものか、ということは、あまり理解されていなかった……というのは、よく知られている話だ。
「憲法制定」の意味もわからず大騒ぎ
職人のなかには「憲法発布」を「ケンプの法被」と聞き間違えて、「絹布の法被を着せて下さるそうだ」と喜んでいた者もいたと、「九州日報」主筆の福本日南や文芸批評家の高田半峯らが書きつづっている。
誇張されている部分もあるかもしれないが、それだけ憲法が何かを理解せずに、民衆が騒いでいたということだろう。
だが、実は、この騒ぎは明治政府によって人為的に作られたものだった。
明治政府によって招聘されていたドイツ人の医師、エルヴィン・ベルツも「こっけいなことに、誰も憲法の内容をご存じないのだ」と同様のことを書いているが、ベルツはこの騒ぎの舞台裏も暴露している。
ベルツの記述によれば、憲法が公布されるとのニュースが広まった時点では、国民は極めて無関心だったという。
しかし、明治政府が地方官吏と新聞に指令して、「この日は、礼服を着て、酒を飲み、お祝いをするのが、忠実な者全員の義務である」といった具合に記事を書かせたのだとつづっている。

