「子供にみじめな商売をさせたくない」
迷いながらでも、商店街を次の世代へ残したい……そんな強い思いを感じさせるが、とは言えそこには私情も挟まっていたようだ。再開発組合の理事長たちが、なぜこれほど大きな事業に踏み切ったのかの答えも、同誌のインタビューに残っている。
当時、大学へ進学する若者が増え、商店街の後継者不足が課題になり始めていた。理事長は、いまの商店街のままでは子供たちが店を継がなくなるという危機感を抱いていた。
「われわれの子供たちが親の跡を継ぐということに対して、われわれがこのままの状態でいるならば、子供たちの目から見た場合に、ずいぶんみじめな、人間らしくない生活をしているというような形に映っている」
だからこそ、次の世代が戻ってきたいと思える商店街をつくらなければならない――。再開発は、建物を新しくするためだけの事業ではなかった。商店街そのものを、次の世代へ引き継ぐための挑戦だったのだ。そのためには、街の主導権を地元が握り続ける必要があった。
岡崎市史によると、地元が最も警戒したのは松坂屋ではなく、大阪を本拠とするダイエーだったという。ダイエーが裁判所跡地への進出を計画すると、地元はこれに反対し、代わりにサンリバーを核とする西三河総合ビル(のちのメルサ)を整備して対抗した。
街は、外から守るものだと考えていた。しかし、その考え方には限界もあったようだ。
地元商店の連携で中心市街地を守ることはできても、郊外へ次々と誕生する大型ショッピングセンターまでは想定していなかった。街を守るためにつくった仕組みは、時代の変化の前では十分に機能しなかったのだ。

