「大型店は、もう一歩も入れまいと思っていた」
レオが開業した翌年の1972(昭和47)年、業界誌『商店界』は、再開発を率いた執行部にインタビューしている。その中で加藤庄一理事長は、意外な本音を明かしている。
「大型店はオカダヤさんとほていやさんでたくさんで、もう岡崎に一歩も入れまいと思った」
前編で紹介したように、岡崎にはすでに大型店が集まっていた。地元の商店主たちは、松坂屋のような百貨店を積極的に誘致したかったわけではない。
では、なぜ松坂屋を迎え入れたのか。
理事長によると、県の保証で融資を受けるには、核となる店が必要だった。地元商店だけで商業施設を運営するのは危険だとして、百貨店を核テナントに据えるよう求められたという。
ただ、執行部は言われるがままに百貨店を選んだわけではなかった。
「田舎商人のわれわれは自信がないしそれが流通業界の常識だとするならばそれに従っていくということが当然だろう」
そう考えた執行部たちは、どの百貨店を核に据えるべきかを検討した。当時すでに出店していたオカダヤは百貨店法による出店、ほていやも業界誌では「疑似百貨店」と位置づけられていた。こうして、地元が目指した新しい商業施設には、より都会的な百貨店が必要だと判断したのである。
候補には名古屋の百貨店のほか、長崎屋やニチイ、西友ストアも名乗りをあげた。その中から最終的に選ばれたのが松坂屋だったのだ。松坂屋は憧れだったのではない。地元商店が「最も確実だ」と考えた選択だった。
しかし、その決断も順風満帆ではなかった。松坂屋を核テナントに決めると、今度は事業団から「それだけ強い組合なら、公的融資は必要ない」と判断される。核テナントを入れるよう求められ、入れたら今度は融資の条件が変わる。理事長は、そんな板挟みの中で再開発を進めたと振り返っている。

