本人の中にはいまも「工業高校を出て働いていたはずだった自分」が、はっきりと残っているのだそうだ。中学3年の冬、友人にひとこと「俺より成績いいのに、普通科にしないの?」と言われなければ、「たぶん、高校を出たら、近所の工場で働くか、職人になるか、友人のマネをしてトラックの運転手になっていただろうね」。日経新聞という会社に入ることも、ロンドンに住むことも、本を書いてベストセラーにすることも、なかっただろう。
本人いわく「運がよかった」。だが、取材した側からすると、たまたま日経新聞の入社試験を受け、たまたま受かり、たまたま小説まで書いてベストセラーになるというのは、運のよさというより、「運を取りこぼさずに使い切る人間」だったという話ではないかと感じた。
見えなかった選択肢を見せる側に
家に勉強机がなく、塾にも通わず、それでも学年で上位を保っていた少年は、本人の中では神童でも何でもなかった。神童扱いされなかったのは、能力を測る物差しが当時の彼のまわりに、なかったからである。
神童の行き先は、研究者でも官僚でもない場合がある。かつて選択肢が見えなかった子どもが、選択肢を差し出す側に回る。高井さんの人生は、その一つの形なのかもしれない。

