入学前に出された宿題を、彼は例によってほとんど放置していた。前日夜になって「これはやばい」と気づき、優先順位をつけようと、すでに鶴丸生だった兄に相談する。
「『数学の予習は、やんなきゃいけないの?』って聞いたら、『全然やらなくても大丈夫だよ』って言われたんです。じゃあ大丈夫か、と」
ところが入学初日、教室を見回りに来た数学教師が、彼のノートに気づく。藤井少年は職員室に呼ばれた。
「お前の首についている、その鶴丸の校章は泣いてるぞ」
藤井さんは、いまもこの瞬間を鮮明に覚えている。「あれが、自分の中ですごく印象的な部分なんです。そこで、明らかに予習してきたみんなと、自分の間に1個、差ができた」。
鶴丸高校は当時、塾通いを実質的に禁止する文化があったという。
「『隠れキリシタンみたいな感じ』で、表面上はないことになっている弾圧があった」
彼には家で勉強する習慣がなかった。そして今度は塾にも行けない。勉強する場所が、彼の生活から消えた。「英語だけはなんとか中学からの積み重ねで平均近くにいけたんですけど、他は本当に赤点ばっかりでした」。
3浪しても医学部に受からなかった
現役で受けた医学部は、もちろん不合格。鹿児島大学医学部のセンター試験は、950点中429点だった。彼は北九州予備校・鹿児島校の寮に入り、浪人生活に入る。
2浪目、福岡大学薬学部に合格。だが医学部ではないため進学せず。 3浪目、広島大学理学部に合格。これもまた、医学部ではないため辞退。4浪目、ようやく医学部を諦め、横浜国立大学理工学部物理工学教育プログラムに進学する。
本人はこのときのことを「医者になるということに対して自分の気持ちが乗っていないから医学部に合格できないんだということにして、医学部受験から逃げた」と振り返る。
「でも本当は、別に医者になるということに自分の気持ちが乗っていないわけではなかったんです。けど、そういうことにして、自分を納得させて、4浪目は別の選択肢を選んだんです」

