一刻余りが過ぎて、秀吉が信長の御前から下がってきました。その様は「喜々」としていました。
秀吉は信長から赦免されたのです。そればかりか、播州一国(播磨国)を攻略するよう命じられたのでした。信長からの宥免を受けて、秀吉主従は、手を取り合って、安土城から下がったといいます。
松永久秀攻めを担当
秀吉赦免を知った時の小一郎の態度は『武功夜話』には記述されていません。その報を得た時の小一郎も泰然自若としていたのか、それとも軽く笑みでも浮かべたのか、想像が膨らむところではあります。信長の怒りをかった秀吉ですが、謝罪により許されたのです。
『信長公記』には、天正5年(1577)10月、信貴山城に籠る松永久秀を羽柴秀吉が攻めていると書かれています。信長としては、軍規違反したとしても、才能ある秀吉を殺してしまったり、追放することは大きな損失と考えたのでしょう。秀吉は危機を乗り越え、更に躍進していくことになります。
(主要参考文献一覧)
・池上裕子『織田信長』(吉川弘文館、2012年)
・桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』(新人物文庫、2014年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)
