「青学よ、おまえはなぜ、厚木くんだりの、寂しい枯木立の中にひとりポツネンと建っているのだ。おまえの売り物であったポップでライトな雰囲気はどこに行ってしまったのだ」というくだりは、当時、世間が厚木キャンパスに抱いた感想を端的に表しているのではないかと思う。
この周囲に“何もない”が故の問題が、開学後すぐから噴出する。主に食堂と交通の問題だ。
4月10日の入学式は青山キャンパスで行われたので問題なく終えられたが、「(前略)十二日の履修指導日から混乱が発生した。学生食堂は一〇〇〇席あったが、近くに飲食店がないことで学生が集中したこと、部活動の勧誘のために上級生が厚木に来訪したこと、券売機の故障などが重なり、食事を摂れない学生が生じた。講義は十五日から始まったが、その日の夕方は大雨に加え、バスの運行状況も悪かった。長蛇の列を作りながら雨に打たれた学生が大勢いた」(『青山学院一五〇年史 通史編Ⅱ』)と散々だ。
食堂に関しては、翌5月には急遽、座席数を300増やし、翌年3月頃までには3300席まで増築している。しかし、当初より3倍以上に増やしたものの、食堂の席不足問題は慢性的にあったという。周囲に何もないため、学生は授業の合間などは食堂にいるしかなかったのだ。その結果、席を確保しようとサークルや部活単位の席取りが横行していたという。
渋滞、混雑……、困難を極めたバス通学
交通の問題はさらに深刻だった。厚木キャンパスは、小田急の本厚木駅から神奈川中央交通のバスで25分ほどかかる。しかし、交通渋滞に巻き込まれると40〜50分、ひどい時は1時間かかることもあったという。開学当初はバスの本数も十分ではなかったようで、通学の不便さはひとしおだったようだ。
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【青学生にとっては懐かしい「愛甲ダッシュ」】
