異国での暮らしに「苦しんだ記憶はない」と政子さんは言う。
「文化が違っても、自分の中に自分の世界を持っていれば、どこにいても生きていける。国際結婚といっても、私にとって男の人はみんな外国人みたいなものだったから。たまたま夫がスペイン人だっただけ」
そう笑う。だが、当時よく見ていたという夢の話になると、その奥にあった本当の感情が、少しだけ見えてくる。
「荷物を持って、汽車に乗る夢をよく見ていた。誰も乗ってこないの。そしたら車掌さんが現れて、『すみません、この汽車、タイヤがないんですよ』って」
「今思えば、逃げ出したかったのかもしれないわね」とまるで他人事のように、政子さんはいう。
長女の誕生で父との関係に変化が
スペインに渡った翌年の1972年、長女が生まれた。あれだけ反対していた父も、初孫の誕生で態度を一変させた。勘当が解かれたのは、結婚から2年後だった。
それでも、政子さんの中には、長いあいだ「いつか日本へ帰るかもしれない」という感覚が残っていた。
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【「ママのおうちはここだよ」】
