「当時、1年間一緒に住んでいなければ結婚は解消できる、と聞かされていたの。父は、日本にいれば私が諦めるだろう、と思っていたみたい」
父は、政子さんのパスポートを無効にできないかと手続きを試みた。それでも、彼女の決意は変わらなかった。やがて両親から勘当を言い渡される。
困ったのは渡航費だった。親からは一銭ももらえない。
すると、スペインの夫が送金してくれたが、事情を知った友人や恩師たちも動いた。
「みんながアルバイトなどで貯めたお金を、寄付してくれたの。『持っていきなさい』って」
そうして1971年、政子さんは勘当されたままスペインへ渡った。
「逃げ出したかったんだと思う」
新婚生活は、スペイン北部の海辺の町・サンタンデールにある夫の実家から始まった。
義両親は政子さんを温かく迎え、義母は料理を一から教えてくれた。
「私、お米が鍋で炊けることすら知らなかったの。本当に世間知らずだった。フィレ肉ばかり買って、生活費が2週間でなくなってしまったこともある」
戦後の東京で、画家の父から「好きなことをひとつ見つければいい」「これからは女性もしっかりしないと世の中に通じない」と育てられた政子さんは、家事をほとんど知らないままヨーロッパへ渡っていた。
「お義母さんのおかげで、やっと一人前の女性になれた。違う国に来て、少し人間らしくなった気がするの」
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【「苦しんだ記憶はない」】
