ラモンと出会ったのは、その半年後のことだった。
夕方、寄宿舎でできた友人に誘われ、カフェへコーヒーを飲みに行った。そこに友人の友人だという男の子が現れ、その後ろに立っていたのが彼だった。
「最初は何とも思わなかった」
そう振り返るが、彼のほうは数日前から街で政子さんを見かけていたらしい。帰宅した彼は、寝ていた妹を起こし、「今日、日本人の女の子と出会ったんだ」と嬉しそうに話していたという。
「彼は、わからないことを放っておけない人だったの。初めて会う日本人が珍しくて、興味を持ったんじゃないかしら。恋愛というより、“研究対象”だったのかもしれないわね」
政子さんはそう笑う。けれど、彼女自身もまた、自分とは違う世界に惹かれていた。
陸上競技をしていた彼の試合を見に行き、仲間たちと遊ぶうちに、自然と2人で出かけるようになった。
半年ほど付き合った頃、政子さんはいったん弟とマドリードへ移り、その後、日本へ帰国した。それでも彼は交際を続けたいと言い、やがてプロポーズした。
政子さんは受け入れた。だが、それを受け入れられない人がいた――政子さんの父親だった。
勘当されたままスペインへ
1970年代、国際結婚は日本の結婚全体の約0.5%。父は、有無を言わさず反対した。
日本とスペインでの遠距離恋愛が始まった。しかし、彼から届く手紙は、父がすべて抜き取ってしまい、政子さんの手には渡らない。
それでもラモンは諦めなかった。人づてに連絡を取り合い、特別にデザインした指輪を日本へ送ってきた。そして、冒頭の「代理婚」に至る。
だが、結婚証明書が発行されても、問題は終わらなかった。
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【両親から勘当を言い渡される】
