後に夫となるラモンは、その頃スペインにいた。同日、現地で2人の保証人とともに婚姻届を提出していたという。
スペインには、本人がその場にいなくとも、事情があれば代理人が本人に代わって結婚の意思を伝えられる「代理婚」という制度がある。現在のように自由に海外を行き来できなかったため、2人はこの代理婚を選んだ。
当時のスペインではカトリック信者同士でなければ結婚は難しかったが、ミッションスクールに通う姉の影響で、政子さんはすでに洗礼を受けていた。そこで、知人の伝手で“代理人”を頼んだ。
結婚式を終えると家族証明書が発行され、政子さんは、本人不在のまま妻になった。
彼にとって自分は「研究対象だったのかもしれない」
ラモンとの出会いは、代理結婚式を挙げる2年半前――1968年の正月だった。
その半年前、23歳だった政子さんは、「本場のオペラを観に行きたい」という理由だけで、ひとりヨーロッパへ渡った。まだ海外旅行そのものが特別だった時代だ。
外貨の持ち出しは200ドルまで。横浜港から船で旧ソ連・ナホトカへ渡り、そこからシベリア鉄道で1週間かけてモスクワへ向かった。
「怖い、という感覚はあまりなかったの。ただ、知らない場所を見てみたかった」
姉と弟がマドリードで学んでいた縁もあり、最終目的地はスペインに決まった。北部の港町サンタンデールで、政子さんは姉とともに修道院の寄宿舎に入った。
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【初めて会う日本人】
