また作り手は、配信した後に出演者のコメントをネットメディアが次々に記事化し、SNSのコメントが活発に書き込まれることで、さらなる再生数のアップにつなげることも視野に入れています。
中山さんと尾形さんも、そんな作り手の狙いをわかっているからこそ踏み込んだコメントをしたのでしょう。
ところが作り手たちは「コンテンツを見た人だけでなく、記事を読むだけの人も加わって騒動が広がり続けること」「その後の仕事に支障が出てしまうリスクがあること」などをあまり考慮していません。
実際、騒動が大きくなってもここまで作り手側に目立った対応はなく、“告発者”という立場になった2人と“容疑者”にされた芸人たちばかりが批判にさらされています。
さらにネット上のコメントを見ても、作り手に騒動の責任を求めるようなものは散発的で、「芸人たちだけが自己責任を突きつけられる」というアンフェアな状況になっているのがわかるのではないでしょうか。
もし私たちがフェアな社会の実現を目指すのなら、数字至上主義で責任を負おうとしない作り手やネットメディアを批判する声がもっと必要でしょう。
もはや「配信やYouTubeだからセーフ」はない
そのうえで中山さんと尾形さんの言動を掘り下げると、「地上波ではなく配信番組やYouTubeだからこれくらいはいいのでは」という気持ちが少なからずあったのではないでしょうか。
しかし、前述したような配信コンテンツの作り手、ネットメディア、ネット上の人々による批判を生み出す負のスパイラルに、地上波と配信コンテンツの区別はありません。
すでに公開される場所を問わず「誰がどんな悪いことをしたのか」という基準で、批判するテーマや人物が選ばれ、批判を浴びせるという社会に変わっています。
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【今後の活動が危ぶまれる苦境を招いてしまった】
