1922(大正11)年には、箱根土地(現在の西武グループ)の開発した高級住宅街、目白文化村が分譲を開始。台地は邸宅が並ぶ高級住宅街に、低地は小規模な住宅が集まるエリアとなった。
1923(大正12)年の関東大震災後、郊外の住宅を求めて人々が移住してきたことで、人口が一層増加する。落合村の人口は、日露戦争終結から4年後の1909(明治42)年にはわずか2382人だったが、関東大震災後の1925(大正14)年には2万345人にまで急増している。
落合は、東京近郊農村から東京の住宅地へと変わりはじめていた。
小工業と、進む宅地化
関東大震災を契機に変わったことがもう一つある。川の近くで営まれる工業だ。
1890年代頃〜1920年代、神田上水の水を利用して紙漉きが行われていた。適地を求めて流入してきた集団が、家内工業として紙漉きを発展させたといわれている。
紙漉きの衰退と入れ替わるように発展したのが、染色業である。江戸時代には染色業者は浅草や神田に多かったが、1923(大正12)年の関東大震災後、水質の良い上流に移転してきた。一時は京都・金沢と並んで日本の三大産地と呼ばれるほどの染色業の集積地となった。川沿いの低地には小規模な住宅に加え、小工業が根付いたのだ。
1927(昭和2)年に西武新宿線中井駅が開業し、幹線道路が整備されると、さらに宅地化が進んでいく。
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【電車の開通とともにさらに発展していく】
