「電卓を取り上げられたことはなかったんです。公園で首から電卓をぶら下げている幼児なんて、どう見ても変ですよね。でも祖父も両親も、『この子はこういう子なんだな』と受け止めてくれた。つまり、うちの家族は『個性は潰さない、でも必要な矯正はする』ということを、結果的にやってくれていたんだと思います」
チームスポーツで知った“自分の欠点”
小学4年生のとき野球部に入り、スポーツにも取り組むようになる。運動神経に自信があったわけではないというが、中学でも野球部を続けるなかで、その後の人生に影響する学びがあった。
「中2の夏に、顧問の先生から呼び出されて、『このままだと、お前をプレーヤーとしては出せない』と言われたんです。技術だけの話じゃなくて、周りが見えていない。集団スポーツで力を発揮できていないと」
当時を振り返ると「アッパー系のコミュ障だったかもしれない」という永田さん。悪気はないのに、一言多い。距離感を間違える。みんなで何かを乗り越えて「よかったね」となっているときに、「でも最初からこうすればよかったじゃん」と言ってしまう。本人としては合理的なことを言っているつもりでも、場を壊してしまう。そういうことを何度もやっていたという。
「先生に言われたあと、幼稚園からの友人で、中学野球部のキャプテンでもあった幼なじみに相談したんです。すると彼が、かなり率直に言ってくれたんですよね。『お前、一言多いんだと思う』って」
当時は「正直きつかった」というが、そのとき初めて、「自分は悪意なく人を傷つけていたんだ」と気づいた永田さん。
小学生のうちは「ちょっと変わった子」で済んでいたことが、中学になると済まなくなる。周りも成長してくるし、集団の中での振る舞いが問われるようになる。
そこから、相手の顔を見てから話す、すぐに思ったことを口にしない、と意識を変えた。
「そうしたら、中3のころにはレギュラーとして試合に出られるようになりました。監督からも『いろんな意味で成長したな』と言われて。僕の中では大きな転機でした」
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【東大理1に現役で合格】
