年中の夏休み。父のパソコンにたまたま出てきた公文式の広告を見て、「やりたい」と思った。永田さんはそこから一気に算数にハマっていく。
「公文って、レベルごとに教材があって、それを終えるとどんどん先に進める仕組みじゃないですか。あれが僕にはものすごく合っていたんですよね。週2回しか通っていなかったんですが、どんどん先に進んでいって、小5までには研究コースまで終わりました。小4のときには、公文の全国進度テストで、同学年9万人くらいの中で全国1位相当の成績だったと聞いています」
集中力も異常、数字に対する執着も強かった。「天から授かった才」が見えていた時期だったのかもしれない。
親を含め、周囲からは怖がられた
ところが家族や周囲は、その才能を手放しでは喜ばなかった。むしろ、「かなり心配していたはず」だという。
「母は体育大学出身でずっと運動をやってきた人なので、数字ばかり書いていてドッジボールもしない息子を見て、相当怖かったと思います」
実際、公文を辞めたあと、算数に触れる時間は「ご褒美扱い」となり制限されていった。外で遊ぶこと、友達と関わること、体を動かすことを意識的に増やしていったという。
「僕はいま、それをすごくありがたかったと思っています。あのまま数字だけに没頭していたら、数学の能力はもっと尖っていたかもしれない。でも、それと引き換えに失っていたものも大きかったはずです」
象徴的なのが、水恐怖症だ。小さいころ、永田さんは極端に水を怖がり、海を見ただけで泣く子どもだった。学校のプールも当然苦手で、授業をさぼったこともあるという。でも、両親はそこを放っておかなかった。永田さんを近所のスイミングスクールに、なかば強引に入れたという。
「最初の2日間くらいは、本当に泣いて抵抗しました。顔を水につけることすらできない。でも最終的には、けのびができるようになって、人並みには泳げるようになった。今振り返ると、あれは行かされて本当によかったと思っています」
親の関わり方について、永田さんはこう振り返る。
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【個性は潰さない、でも必要な矯正はする】
