それよりも不人気をひたすらに回避しているようにも見える。これまでの発言をみても、防衛省自衛隊には厳しい内容の発言はない。逆に自衛隊員や応援団体、ひいては支持層の歓心を買うことにのみ腐心している。
はたして、隊員の顔色をうかがう防衛大臣はその任に耐えるのか。これも資質を満たすかに疑問が生じる理由である。
なにより、政策がない
つけ加えれば防衛大臣としての政策も見えない。当然ながら、その基ともなる問題意識や解決改善の方向性や路線も見えない。
所管大臣は行政の問題改善を主導する立場にある。防衛大臣であれば防衛省自衛隊、防衛政策や安全保障政策に存在する問題について解決あるいは改善を図ろうとする。さらには、それについてどのようにして実施するのか。そのような目論見も示す立場である。
歴代大臣や長官はそのような政策を持っていた。1980年代以降であれば、海空重視と陸上戦力整理、冷戦後の戦力整理、日米軍事協力の推進、人員不足の解決といった内容だ。
もちろん、中には肯定しがたい政策もあった。国民経済を圧迫するGDP比2%への防衛費増額を推進する。辺野古基地建設を強行継続する。対中包囲網の損だけを率先して受け入れる。「開かれたインド太平洋」や「安全保障のダイヤモンド」といった誤った政策の推進である。
ただ、それでも職責への熱意はあった。間違えた方向にせよ国家に奉仕する意気込みはあった。努力を尽くし、さらには政治家生命を賭けて推進を図っていた。
いまの小泉氏からはそれがうかがえない。政策どころか問題意識も見て取れない。もちろん政策の主導は義務ではなく、それをせずとも不作為とはならない。ただし、大臣として、さらには政治家としての職責の懈怠(けたい)である。
そこにあるのはパフォーマンスだけだ。仕事をしている動画や写真を撮ることに終始している。アメリカの国防長官との筋トレや、落下傘訓練への参加、オーストラリア国防相との艦上署名のいずれもそれである。そのうち、フッ素化合物PFASが流出した水域でサーフィンのような水遊びもしかねない勢いだ。
そのいずれも官僚機構や幕僚連のお膳立てである。大臣には調整する時間はない。そして官僚や幕僚も満足した様子を確認している。今では「何を持っていっても黙って判子をつく」と内心でほくそ笑んでいるはずだ。
はたして、防衛大臣は必須の資質を持ち合わせているのか。現体制下において防衛大臣は戦前の首相を超える権力を持つ。総兵力24万人の自衛隊を管理するだけではない。その指揮つまりは統帥権をも束ねる立場にある。戦時においては戦争指導にもあたる。以前の環境大臣のごとき伴食大臣とは異なっている。
重ねて言う。防衛大臣はその資質を持つのか。その疑問は少しも拭えないのだ。
