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学校も保護者も"ランドセルをやめられない"のはなぜ?リュック型もある、文科省も「毎日持ち運びは無理」と認めたのに…

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ランドセルを机に載せる小学生
ルールで決まっているわけでもないのにランドセルが圧倒的多数なのはなぜなのか(写真:TSUYOSHI / PIXTA)
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それでなければならない合理的な理由は、ほとんどありません。それでも続いている。なぜか。「ずっとそうしてきたから」です。

この構造は、ランドセルに限りません。宿題も、行事も、並び方や号令も、さまざまな“学校の当たり前”も同じです。必要だから残っているのではなく、残っているから必要だと感じている。ランドセルは、その象徴に過ぎません。

「少数であること」が問題になる構造

現場でよくあるのが、ランドセル以外の鞄に対する何気ない一言が、強い反応を招くケースです。問題は発言ではありません。「少数であること」そのものです。目立つことがリスクになる。違うことが説明責任になる。この構造が、「同じ」を選ばせます。

保護者の立場で考えれば、これは合理的です。目立たないほうがいい、トラブルは避けたい、子どもに負担をかけたくない。そう考えたとき、「みんなと同じにする」という選択は、極めて合理的になります。

つまりランドセルは、選ばれているのではなく、「波風を立てないために選ばされている」面もあるのです。

この構造は、学校の外にもあります。ランドセル購入費を祖父母が負担する割合は52.4%とされています。さらに平均価格は5万9138円(ランドセル工業会調査)。

一度購入すれば6年間使う前提の買い物です。その時点で、「途中で変える」という発想はほぼ消えます。

さらに、そこに祖父母の思いが乗る。「ランドセルを背負った孫を見たい」。この感情は、善意であり、同時に強い拘束力でもあります。若い親が「リュックでもいいのでは」と思っていても、言い出せない。そこには、「本当はこうしたい」という思いを飲み込む葛藤も生まれます。ここでも、「同じであること」が選ばれます。

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【ランドセルが象徴する「一律」という思想と合理性とのズレ】

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