ランドセル以外の通学鞄は、すでに存在しています。制度として禁止されているわけでもありません。
にもかかわらず、公立小学校の現場では、ランドセルが圧倒的多数です。ただし、全員ではありません。100人いれば1人いるかどうか。リュックなどで通学している子も少ないながらにいます。
しかし、だからこそ目立つのです。数としては存在している。しかし、選択肢としては機能していない。このズレが、現場の実態です。
一方で、附属校などでは様子がまったく異なります。通学環境や生活動線に合わせて、リュックが自然に選ばれている。電車通学になる子も多く、満員電車に乗ることもあってランドセルだと不便を感じることもあるからでしょう。
つまり結論はシンプルです。合理的理由がある場合は、ランドセルは選ばれない。同調が働く場では、ランドセルが選ばれる。問題はここにあります。
変えられない理由はルールではなく、「空気」です。しかもこの空気は、「逆らうと損をする」という形で機能しています。心理学のアッシュの同調実験が示す通り、人は多数派に合わせて判断を変えます。ランドセルも同じです。誰も強制していない。しかし、違う選択はしにくい。
ランドセルは「学校の保守性」の象徴である
ここまで見てくるとわかるのは、ランドセルの問題は単体の話ではないということです。学校は、本質的に非常に保守的な組織です。一度うまく回っているものは、簡単には変えない。
いや、正確に言えば、「変えなくても回っているものは、そのまま維持される」という構造を持っています。ランドセルは、その典型です。
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【「少数であること」が問題になる構造】
