「母子家庭で育ってきたのですが、中学生の時に母親が再婚しました。ただ、その配偶者の男性がおそらく嫉妬で、僕のキャリアを矮小化しようとしてくる人だったんです。
修士課程に行っているときも、その人は大学院の存在自体知らなかったんでしょうね。『みんな大学を出たら働いているのに、まだ大学にいようとするなんて穀潰しだ』などと言って、母や祖母に圧をかけたり、地方公務員の公募が出ているといった書類を無理やり母から僕に送りつけさせたりしていた。
母親の配偶者が、直接僕にではなく、母や祖母にストレスをかけていたんです。ずるいですよね。その状況に耐えられなくなり、それで博士進学を断念して就職することにしました。僕の来歴に責任を負わない他人の介入によって、でも自分から進路を変更した。人生の中でこの時が一番悔しかったかもしれないですね」
東大で教鞭「立ち見が続出する大人気講義」に
大学院を卒業した鮎川さんは、音楽業界と出版業界を行き来する働き方をしながら、東大で教鞭を取るようになります。
「東大に呼ばれて、本当に嬉しかったんです。なにせ、一度断念した道でしたから」
1コマにかける労力ではないリソースを割き、情熱を持って行われる授業は、立ち見が続出する大人気講義となり、『東京大学「ボーカロイド音楽論」講義』として出版され、6回重版されました。
そして東大で講義を始めて9年目を迎えた24年ごろ、一度は諦めた博士課程に行こうと決意します。その理由を聞いたところ、「今際のきわに、取らなかったことを後悔すると思ったから」と答えてくれました。
「東大で授業を持つという話をいただいたのが16年でしたが、とても嬉しかったんです。ただ、最大の喜びと同時に、あの時そのまま博士に進学して、博士を取っておけばという思いが強く募りました。東京大学の教員は博士号持ちが当たり前の世界でしたからね。
僕が最初に呼んでいただけたのは『ボカロ音楽の現場を知る人だから』という民間起用枠みたいなものだったんです。博士号をとっておけば良かったという葛藤も、16年から、喜びとともに始まることになるんです。
ただ、博士課程進学を拒んでいた母の配偶者の呪いが次第に解けていきました。何を思ったのか母に暴力を振るうようになったので、母も配偶者の異常性に気づいて、離婚を決めたんです。それで、家で博士課程に進むことに対して『穀潰し』というような人間はいなくなった。
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【博士号への未練】
