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母の再婚相手「大学なんて穀潰し」進学妨害された鮎川ぱて氏が東大ボカロ音楽論の超人気講師を経て得た"呪いからの解放"

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鮎川ぱてさんのアイコンイラスト
鮎川ぱてさんのアイコンイラスト(イラスト:鮎川さん提供)
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鮎川さんは、富山県に生まれ、母子家庭で育ちました。小学校の時には塾に通って受験勉強を始め、富山大学教育学部附属中学校に合格します。

「中学校では塾には通っていません。学校での成績はぼんやりとしか覚えていないのですが、学校の中で良いほうでも悪いほうでもなかったです」

それでも優秀な中学校であったため、高校受験では富山県の御三家の一角である富山県立富山高等学校に合格し、進学することができました。

しかし、高校では成績が最底辺だったそうで、学年320人の中で下位1割でした。その理由としては、音楽に打ち込んでいたことが大きかったそうです。

音楽コンテストで全国大会に出場

「音楽を習わせてもらう機会はなかったんですが、ギターを買ってもらって独学でそれを演奏したり、シンセサイザーを買ってもらって作曲を中3の時に始めたりしていました。

高校1年生の時には、日本全国から1万3000のバンドが出るトーナメント式の音楽コンテストに出場して、全国大会に出る二十数バンドのうちの1つに富山県代表として選ばれました。

僕自身の演奏は下手だったんですが、僕が作曲した曲を披露するからキーボードのメンバーにしてくれていたんです。バンド内では、実質上の担当は作曲でした。年齢バレするから言えませんけど(鮎川氏は年齢非公表)……同時期に育成作家として事務所に囲われていた人には、その後そうそうたる作家になる人たちがいましたね(笑)」

「学校の勉強そっちのけで音楽ばかりやっていた」と語る鮎川さん。しかし、高校2年生の終わり頃に、同世代のバンドメンバーが受験を原因に脱退すると言いだしました。それで初めて、鮎川さんは大学受験を意識したそうです。

また、バンドメンバーの脱退と同時期に先生と親の二者面談があり、「親がこの世の終わりみたいな顔をして帰ってきた」と当時を振り返ります。

「『おたくのお子さん、入れる4年制大学ありません』と言われてきた、と。それで親が『こんなことなら音楽やらせなきゃ良かった』と言ったんです。『そんなこと言うなよ』と。『じゃあ大学に行きゃいいんでしょ、行ったら文句言わないでしょ』と言って、そこからほったらかしだった勉強について考え始めたんです」

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【驚きの伸びで東大に合格】

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