勘違いしている人も多いので最初に言っておくと、政治資金を私的な生活費(家賃や食費など)に流用することは認められていない。このため、支給された40万円はあくまで事務所の維持、スタッフの雇用、地域での活動といった「政治活動」に充当される。
つまり、生活費は別途、個人の蓄えや他の副業などで工面しなければならない。もちろん、支援金の使途が適正に報告されているかは、今後の政治資金収支報告書による検証の対象となるだろう。
いずれにしても、中道の落選者支援制度は、山岸氏の炎上騒動を個人の失言と矮小化して捉え、その背後にある新しいポピュリズムの潮流と「自己防衛モード」(後述)の加速による構造的な拒絶反応から何も学んでいないことを露呈させた。
そもそも現代において、政治家という存在は「崇高な志を持つ人」ではなく、「具体的なソリューションを提供する経営者・エンジニア的存在」として評価されやすくなっている。その視点で見ると、選挙での落選は「有権者という顧客から選ばれなかった」ことを意味する。
このような考え方は、世界中で広がっており、テクノ・ポピュリズムという言葉で表現されることが多い。テクノ・ポピュリズムとは、分かりやすく言えば、「技術的・実務的な解決を唱えるテクノ志向」と、「真の国民の奉仕者であることを強調するポピュリズム志向」が組み合わさったものだ。
メディア研究者のマルコ・デゼーリスが論じているように、テクノ・ポピュリズムの本質は「仲介者の排除」にある(Technopopulism:The Emergence of a Discursive Formation/TripleC: Communication, Capitalism & Critique 15 (2)/2017)。選挙での落選は、デゼーリスの文脈では「その仲介者はもはや不要である」というユーザー(有権者)による明確な拒絶、すなわち「死刑宣告」だ。
従来は「国民↔(既成)政治家↔政策」という図式であったものが、現在は「国民↔プラットフォーム(デジタル実装)+リーダー↔政策」へとショートカットされる傾向が強まっており、真ん中の「(既成)政治家」の存在意義が薄まっている状態にある。
「自分で稼げないエリートの甘え」という最悪の印象も
このため、落選者支援制度は、民意によって排除された政治エリート層を、無理やり公金や党費でメンテナンスし続けようとする試みとなる。これは効率化と直接民主主義を求めるテクノ・ポピュリズムの動きから最も遠い、無駄な延命行為と判定されうる。
要するに、政治的エリート層が自身の金銭難を訴えたり、落選後の政治活動の苦労を匂わせる行為は、庶民の目から、元特権階級による敗者復活への未練にしか映らず、下手をすれば「自分で稼げないエリートの甘え」という最悪の印象すら与えかねないのである。
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【政治家には「真の国民の奉仕者」であることを期待する】
