この図をみると、地主の資産はバブル後に急落しているように見えるかもしれないが、バブル崩壊までの土地取引によって、かなりの部分が現金化されているため、土地下落のダメージはむしろ不動産をローンで購入した大衆層のほうに分散された。
だから、バブル後にこうした錬金術は、大衆層の百貨店離脱につながったものと推察される。新富裕層は今でも百貨店の中心顧客であるが、余裕がなくなった大衆が百貨店離れを起こしたのは、こうした背景もあるということだ。
ただ、人口流入が止まり、沿線開発が事実上終焉している今、従来の方法で新たな富裕層を開拓していくことは、もうできない。戦前からの富裕層を押さえている呉服系老舗百貨店がいまだに存在感を示す中、鉄道系百貨店が再開発を機に消えていくのもやむを得ないのであろう。
大衆の借金消費は続かなかった
地方から出てきたサラリーマンの家に生まれた自分は、1973年に、横浜市西部の新興住宅地の鉄道系(西武ではないが……)分譲住宅地で育った。小学校の友達は公営借家に住む子も多かったし、持ち家の子も我が家と同様、住宅ローンでやっと家を買ったという層がほとんどだった。でも、中にはお金持ちの子もいて、遊びに行くと物すごい門構えのでかい敷地に何件も家を建てて住んでいた。
聞くとその家では、周辺にたくさんの借家を経営しているらしく、生活もサラリーマン家庭とは桁違いであったことを覚えているが、大人になってこうした構造を理解して、そういうことかとわかった。
「文化の発信」を真に受けた大衆の借金消費はバブル後には続かなかった。大衆が家賃やローンを払いながら地価高騰を支えていたあの頃の時代にはもう戻りたくない、という感覚が自分にはあるが、ふと考えてみると、今もまた似たような話を聞く。
背景は異なるが、最近も住宅価格が高騰して、夫婦ダブルインカムでも50年ローンでないと都内にはマンションも買えないほどだという。それ自体は価値観だから人の判断ではあろうが、50年安定して収入が予定通りだった人を知らないし、少なくとも資金繰りが苦しくなるような出費はよく考えたほうがいい、というのが30年銀行に勤めていた人間の素直な感想だ。
でも、身の丈を超えた買物は、売りたい人たちの巧みなロジックに乗せられているのかもしれない、なんて思ってしまうのはきっと貧乏性なのであろう。
