東洋経済オンラインとは
ライフ

西武渋谷が9月末閉店へ…「文化を売る」セゾンが昭和世代を強烈に惹きつけたカラクリ

9分で読める
セゾンはどんな存在だったのか(撮影:今井 康一)
2/6 PAGES
3/6 PAGES

高度成長期、すでに小売の王者になっていた百貨店ではあるが、その売り上げもブランド力も呉服屋出身の老舗である三越、大丸、高島屋、松坂屋などがトップクラスとされ、後発の鉄道系はその次のランクという評価がされていた。

そして鉄道系の中でも、沿線価値向上に早くから取り組んだ元祖、阪急と東急がブランドでは圧倒的な存在となっていた。この点は今でも変わっておらず、関西圏、首都圏の住みたい沿線という調査をすれば、この両社の沿線が人気の上位にくる。

そんなブランドで劣る西武沿線地盤の西武池袋がトップブランドになるためには、逆転の一手が必要だった。それこそが「文化の発信」ということなのだが、なぜそんなことができたのか、これには歴史的な背景があった。

1981年の西武百貨店池袋店(撮影:高橋孫一郎)

沿線開発で生まれた「新富裕層」を囲い込んだ

新興住宅地であった西武沿線を地盤とする西武百貨店が注目したのが、沿線開発に伴って生まれる「地主層」という新富裕層であった。ご存じの通り、高度成長期以降、東京の周辺部は人口が急増し、例えば埼玉県の場合、1960年に240万人ほどだった人口は1978年で500万人超と倍増している。

当然ながら、こうした人口増加は出生増というよりは地方からの流入によるものであり、その分の新たな住宅が必要となったということを意味する。この当時、東京と郊外を結ぶ鉄道沿線では急速な新興住宅地開発が行われ、それまでの農地が次々と住宅地に転換されていった、ということでもある。

となれば、それまでの農地所有者はどうなるか。農業を縮小し、土地を切り売りしたり、賃貸住宅を作ったりしながら、同時に急速に進行していく地価高騰の恩恵を享受する地主という新たな富裕層へと変貌していったのである。

次ページが続きます:
【「文化の発信」とは富裕層の生活スタイルの大衆化】

4/6 PAGES
5/6 PAGES
6/6 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1週間以内の記事が対象