メディア研究者のマルコ・デゼーリスは、テクノ・ポピュリズムを大きく2つの型に分類した。カリスマ的リーダーがデジタルツールを使い、国民と直接つながるリーダー中心型と、参加者がプラットフォーム上で直接意思決定し、専門家政治を代替するリーダーレス型だ(Technopopulism:The Emergence of a Discursive Formation/TripleC: Communication, Capitalism & Critique 15 (2)/2017)。
現在の日本の政治状況は、この2つが高度に融合しつつある。
SNSの効果的な活用により、国民との「絆づくり」を重視している高市首相の強固なリーダーシップと、チームみらいが示す技術的解決への道筋は、反対するだけの野党を「民意に対する抵抗勢力」と捉えやすくなる傾向を作り出している。
デゼーリスは、テクノ・ポピュリズムの台頭は「プロフェッショナルな調整役としての政治家」がオワコンになるという趣旨のことを述べている。
スピーディな意思決定と効率的な技術的解決の提案と対照的に、建設的ではない「永田町の論理」は総じて非効率でコストのかかる中間搾取のように見えることだろう。
テクノ・ポピュリズム下では、政治も「マーケット化」し、当選という「成果」を出せなかった政治家が資金難を訴えることは、バグを抱えた古いソフトウェアが課金を要求するようなものとみなされ、有権者(ユーザー)の怒りを買うのだ。
山岸氏のポストが国民の神経を逆なでするのは、その発言に「自分たちは良識あるエリートである」という自意識が見え隠れし、にもかかわらずそこに「国民と同じ目線」を演じようとする欺瞞的なしぐさを感じ取っているからだ。
受動的な姿勢が激しい嫌悪感を呼び起こした
同ポストに透けて見える「支援してくれたらいいなあ」という受動的な姿勢は、能動的な解決策を提示する国民民主党やチームみらいなどの政治家たちと比較され、激しい嫌悪感を呼び起こしたことは想像に難くない。
いずれにしても、ポピュリズムが避けられない現代の政治状況は、モフィットのいう「綱渡り」と、前述の「マーケット化」が世論を支配していくことを意味している。わたしたちは、課題解決に向けた安易なショートカットへの誘惑に抗いつつ、与党野党を問わず政治家たちの言動を見極める必要があるだろう。
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