「最後に1回売れなきゃいけない」腎移植手術失敗→左膝下切断したハチミツ二郎《車椅子で散歩》の冠番組で脳裏に焼き付いた場面
食リポが終わると、最後はよく知る店員と写真撮影。自身の冠番組で馴染みの店を紹介している状況が信じられないのか、「こんな写真撮れる日がくるなんて思わなかった」と感慨深げな表情を浮かべる二郎が印象的だった。
後半は、伊達との思い出話に花を咲かせる。02年、「新宿Fu-」で開催されていたお笑いライブ「ホラカク。」でふたりは出会った。04年に東京ダイナマイトが『M-1グランプリ』決勝に進出したことがきっかけで、伊達は本腰を入れて漫才に向き合い始めたという。
それより以前、2組で行った岡山の営業で伊達が「僕らコントしかやってないですよ。漫才ですよね、営業」と相談を持ち掛け、二郎が「コントでやってたものをマイクの前でやりゃいいだけだよ」とアドバイスしたのを機に、サンドウィッチマンは漫才を披露するようになったようだ。
また、07年にサンドウィッチマンが『M-1』王者となり活躍する一方で、二郎が体調を崩して死線を彷徨ったことなど、ふたりだからこそ語れる濃密なトークが展開された。
「(有吉)弘行さんのおかげだよ」と感謝を口にしたかと思えば、将来的には高齢の視聴者から支持を得て「そういう人たちに不動産とか資産があるなら預けてもらいたい」とジョークを飛ばす二郎。その人間臭い振る舞いが、いつまでも脳内から離れなかった。
「単独ライブで借金150万円」豪快で型破りな人たらし
二郎は、15歳で「プロレスラーか芸人になる」と単身上京。姉と同居後にひとり暮らしを始め、アルバイトをしながら定時制の都立代々木高校に通い始める。
95年、吉本興業のお笑い養成所・NSC東京校の1期生として入学。ここで曽根卍と第1期東京ダイナマイトを結成する。しかし、曽根は在学中にクビになり、二郎もまた卒業と同時に肩を叩かれた。ふたりとも、特定の講師に嫌われていたのだ。





















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