「父が見放すほど劣等生」スピーチの天才"チャーチル"実は演説が苦手な過去
有名なのは、1940年6月4日の下院演説だ。チャーチルは、ドイツ軍に包囲されていたイギリス軍が撤退に成功したことを報告。その後、「戦争は撤退によって勝利するものではない」と楽観を戒めて、こう言った。
「我々は、海岸で戦う。敵の上陸地点で戦う。野戦や市街で戦う。丘陵で戦う」
「我々は戦う」というフレーズを何度も繰り返し、こう力強く締めくくった。
「我々は、断じて降伏しない」
緊急時に国民を大いに鼓舞して、近現代史上「最も偉大なリーダー」という声さえあがる、チャーチル。実はもともと口達者だったわけではなく、その裏には、涙ぐましい努力と膨大な読書があった。
父が見放すほど劣等生だった
チャーチルは7歳のときにエリート校、セント・ジェームス校へ入学。そこでの寄宿舎生活は過酷なものだった。
全校生徒の集会では、規律違反者が別室に連れて行かれて、血だるまになるまで棍棒で叩きのめされたという。このような「棍棒地獄」は当時のイギリスの教育機関では珍しくはなかった。
チャーチルはその部屋から聞こえてくる悲鳴に震えながら、床にうずくまっていたという。
「私は、この学校が心の底から嫌いだった。2年以上も不安におびえながらすごしたのだ。勉強の成果など、あるはずはなかった」
こう振り返るチャーチルは、特にラテン語を苦手としていた。体育にいたっては絶望的だった。「はやく休暇になって、この憎むべき奴隷社会から両親のもとへいつ帰れるか、それこそ毎日毎時間、指折り数えている日々だった」とさえいっている。
チャーチルは肉体的にも精神的にもまいってしまい、一時は言語障害に陥ってしまうほどだった。その後、何度か転校を繰り返すが、チャーチルの学生生活は停滞を余儀なくされる。
チャーチルの父ランドルフ・チャーチルは、25歳の若さで下院議員に当選し、30代後半で大蔵大臣に抜擢された政治家である。息子にはイギリスを統治するような政治家になってほしいと願っていたが、低迷する成績を見て、半ば諦めたようだ。





















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