顔を出し、声を枯らしてあらがった福島原発事故の自主避難者たち。初心を貫いた誇りと、今も続く心の葛藤。それぞれの15年と今

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磯貝潤子さん(52)は数多くの新聞やテレビ、雑誌のほか、ドキュメンタリー映画にも登場し、新潟県議選にも立候補した自主避難者の有名人だ。バイタリティーにあふれ、人前に出ることも厭わない。それゆえに迷いと挫折、そして絶望と再生を繰り返してきた。

今年2月、新潟市内で彼女と待ち合わせた。直接会うのはおよそ10年ぶりだ。磯貝さんの服装の変化に驚いた。タイトな黒い革ジャンを羽織り、足元は黒いブーツを履いていた。10年前はオーバーオールに天然素材のシャツ。そしてフェイスブックに投稿されていた選挙での辻立ち姿は、ブルーのパンツスーツに白いスニーカーだった。服装について触れると、磯貝さんは気恥ずかしそうに理由を説明してくれた。

原発は止められなかったけれど

「演じているつもりはなかったけど、きれいな格好をしていたら避難者っぽく見えない、そう思い込んでいたんですよね。でも最近になって思い出したんですよ。そういえば私は中学、高校とパンクロックを聴いていたなって。それで戻ってきたんです」

紆余曲折に充ちた15年間の避難生活を振り返った磯貝潤子さん=2026年2月14日、新潟市で(写真:筆者撮影)

彼女が住む新潟県は昨年末から今年初めにかけて、東京電力・柏崎刈羽原発の再稼働を巡って大きく揺れた。新潟県の花角英世知事は25年12月、再稼働への事前了解を表明。そして同原発は今年1月、約14年ぶりに再稼働した。

「あんなのを動かしやがって、ですよね。子どもたちから『ママすごい、あれを止めたんだね』って言われたかったんです」

「あんなの」とは「原発」を指す。磯貝さんが県議選に出た理由はもちろん同原発の再稼働阻止だ。それなのに、この取材の中で磯貝さんは「原発」や「花角知事」、そして「放射能」や「被曝」といったワードを口にしなかった。今も心に深い傷が刻まれているのではないかと私は感じた。

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