「現場が使わない」システムが企業成長を止める? DXを成功に導く「次世代基幹システム」選定論

自社のシステムの顧客は「従業員」である
――高機能なシステムやツールを導入しても、DXの成果が上がらない企業が多く見受けられます。ボトルネックはどこにあるのでしょうか。
各務 最大のボトルネックは、従業員を顧客と定義した「Go to Market」のプランがないことだと思います。システム導入における顧客は「従業員」です。市場に新製品を展開する際と同じように、従業員の困りごとやニーズを理解したうえでプランを練らなければ、システムは定着しません。
また、どうしても従業員のITリテラシーには差があります。その差をどう埋めるか議論がなされないままシステム導入されることが、失敗する要因だと思います。
代表取締役CEO
芹澤 雅人氏
2016年、SmartHR入社。2017年にVPoEに就任、開発業務のほか、エンジニアチームのビルディングとマネジメントを担当する。2019年以降、CTOとしてプロダクト開発・運用に関わるチーム全体の最適化やビジネスサイドとの要望調整も担う。2020年取締役に就任。2022年1月より現職。
芹澤 人手不足が慢性化する中で、システムによる効率化が求められています。しかし各務さんのご指摘に加えて、従来使っていたものが変わることに抵抗を感じる従業員は多くいます。DXというとテクノロジーの側面がフォーカスされがちですが、使う側のマインドやカルチャーを変えていくこともセットで考えないと、社内の変革は難しいでしょう。
人事労務の「問い合わせ」削減は経営イシューだ
――「従業員のニーズを満たしたシステム」への変化は、具体的に企業へどんなメリットが期待できるのでしょうか。
芹澤 従来の業務システムは、あくまで管理部門の効率化のために作られてきた面があります。しかし実際には、人事労務の仕事は担当者のみで完結することがほとんどありません。人事労務担当者から従業員に何らかの依頼をする、従業員からの申請を受け付けて人事労務担当者が処理をするといった具合に、双方向のやり取りが非常に多いのです。
それに伴って、管理者側が従業員からの問い合わせに対応する時間は膨大なものになります。これを経営イシューとして捉えている経営者は意外と少ないのが現状です。問い合わせの大半は、マニュアルなどに書かれている定型的な質問です。従業員にとってもわかりやすく、問い合わせ不要で使えるシステムであれば、この対応時間を低減できる。そのメリットは大きいと思います。
DX戦略本部 本部長 兼 CDO
各務 茂雄氏
VMware、楽天、Microsoft、AWS、ドワンゴを経て2019年にKADOKAWA Connected代表取締役社長就任。2022年3月に退任後、MUFG、GovTech東京、JTBでDXを推進。2025年3月より現職。著書に『世界一わかりやすいDX入門』『日本流DX』(東洋経済新報社)。
各務 従業員体験の向上が、人材確保に直結しているという現状もありますね。人材の流動性が高まる中、とりわけ若手で優秀な人材は、社内システムの使い勝手が悪いとすぐに辞めてしまう傾向があります。
一般的には、BtoB(従業員向け)の基幹システムよりも日常的に使うBtoC(一般消費者向け)のアプリのほうが使い勝手が良いので、「なぜ仕事で使うシステムはこんなに使いくいのか?」と感じる人は多いと思います。入社時のシステム体験を良くすることによって、会社に対するエンゲージメントが高まる効果が期待できるでしょう。
従業員と管理者双方の「良い体験」を重視する
――そうしたメリットを享受できるシステムを実現するには、どんな工夫が必要でしょうか。持つべき視点を教えてください。
芹澤 私たちSmartHRは、「worker-friendly(働くみんなが使いやすい)」というサービスビジョンを掲げ、BtoCアプリと同等あるいはそれ以上の使い勝手の良さを追求し続けてきました。例えば入社手続きや年末調整をスマートフォンアプリから直感的に入力できるようにしたり、タスクの完了状況を可視化して、従業員が「これで大丈夫かな?」と不安をなくしたり。徹底した体験設計にこだわっています 。
日々の業務の入口として「従業員ポータル」の提供に力を入れているのも、従業員体験を向上させたいという思想からです。ポータルには会社からのお知らせや従業員とコミュニケーションが取れるメッセージ、必要な申請を行う機能が集約され、AIが従業員の質問に自動回答するAIアシスタントも搭載しています。必要な情報や手続きに迷わずアクセスできる状態を目指して、管理者と従業員双方の負担を減らすことを目指しています。
各務 通常、システム選定では「何ができるか(機能要件)」と、「どう動くか(非機能要件)」の2つを定義します。しかしこれからは、その前に「従業員体験」の設計が不可欠です。
従業員がどうシステムに触れ、どう感じるかを設計する。そうして初めて、現場のデジタルリテラシー差を埋め、リテラシーが高い人と高くない人がいても、誰もがストレスなく使えるシステム要件が見えてきます。この「誰もが使いやすい」という土台があってこそ、企業の競争力を左右する重要な資産が生まれてくると考えます。
業務で使い、自然にデータが蓄積されることのメリット
――具体的にどのようなところが経営戦略上、重要なのでしょうか。
各務 使いやすいUXによって入力するストレスがなくなると、良質なデータが蓄積されやすくなります。とくに生成AIが本格的に普及した近年、このポイントは極めて重要です。今後、AIエージェント※が普及すれば、管理者と従業員のやり取りの自動化は一層進みますので、いかに良質なデータを持っているかが企業の競争力に大きく影響することが考えられます。
※人間の介入なしで、目標達成のために自律的に状況を判断し、計画・実行・学習を繰り返せるAIシステム

芹澤 まったく同感です。そもそも良質なデータを蓄積するのは、簡単ではありません。ビッグデータという概念が注目されて久しいですが、人事データに関してはいまだに蓄積が進まず、AIが学習できるデータには限りがあります。
だからこそ、SmartHRを使うことでおのずと社内の良質なデータが蓄積され、経営に役立つさまざまな分析ができる状態になっていることが理想です。AIアシスタントの機能を「従業員ポータル」に搭載したのも、そのためです。従業員が毎日使う場所に、組織にまつわる情報を網羅的に検索できる機能を置くことで、自然と利用頻度が高まりデータが集まる、その循環を作ろうとしています。
「データの民主化」がマネジメントを変える
――従業員体験を高め、良質なデータが自然に蓄積されるようになると、経営戦略や人材戦略にどのような変化が起こるのでしょうか。
各務 今後、汎用的な情報は生成AIが網羅的に処理できるようになりますから、従業員には個性や提供できる具体的な付加価値が一層求められますし、それを可視化するシステムも不可欠です。
これからの経営は、従業員一人ひとりの「個性」や「強み」といった暗黙知を可視化し、組織全体で活用していく視点が必要です。個人の提供価値を明確にし、その集合体として企業を捉え直し、パフォーマンスを最大化させていく。次世代の組織運営にはそういった視点が求められると思います。
芹澤 そもそもタレントマネジメントには多くのデータが必要です。これまで、優れたマネージャーは徹底的に情報収集をしていたわけです。従業員一人ひとりと対話を繰り返し、暗黙知の情報をため込んで、適性を判断したり異動を決めたりしていました。

ただし判断はどうしても属人化しますので、マネジメントできるのは一部のマネージャーだけでした。それが、システム利用によってデータが自然に蓄積され、適切に権限付与された「データの民主化」が実現すると、属人化が解消します。誰もがデータにアクセスできるようになり、一人ひとりの能力や希望に応じた本質的なタレントマネジメントが可能になるのではないでしょうか。
――使いやすいシステムを追求していくと、従業員一人ひとりの能力を最大化していくことにもつながっていくということですね。
各務 逆にいえば、業務で使用するシステムは、従業員の人生の一定の割合を握っているともいえます。一人ひとりの能力を生かせるかどうかは従業員体験にかかっていますから、従業員の貴重な可処分時間を使うものだと認識してシステムの選定に取り組んでほしいと思います。
芹澤 まさに、従業員は自社が選んだシステムを使わざるをえません。プライベートではスマートフォンでもPCでも、好みのソフトウェアやアプリを使えますが、会社ではそうはいきませんから、システム選定の際に従業員体験を考慮することは重要です。
そしてもう1つ、人事制度や就業規則はシステムに縛られているものが多いということです。「勤怠システムや給与システムが対応していないから、制度変更を諦めた」という声は少なくありません。これだけ働き方や働く価値観が変わってきている中、今後トレンドに合わせて柔軟に制度を変えられない会社は従業員から選ばれなくなるおそれも十分にあります。
その点、SaaSは常時アップデートできます。SmartHRも変化に合わせて、毎日のように新たな機能をリリースし続けています。システム選びを単なる業務効率化ではなく、「従業員がその人らしく働くための環境づくり」と捉え直すこと。それこそが、DXと人的資本経営を成功させる第一歩になるはずです。




