JICA海外協力隊の経験が育む人材の可能性 開発途上国でビジネスチャンスを生み出す人も

99カ国へ派遣し、アジア版ノーベル賞も受賞
気候変動や紛争など、世界の複合的危機で最も脅かされているのは、開発途上国の貧困層である。そんな彼らを開発協力という切り口で支援しているのが、JICAだ。
現地の住民と共創するJICA海外協力隊が
日本企業の未来もひらく
独立行政法人 国際協力機構
青年海外協力隊事務局 事務局長
大塚 卓哉 氏
「開発途上国にある課題を見つけ、現地の人と一緒に解決していく中で、相互理解を深め、共生する力を身に付ける。そして、2年間の活動を経て、国内外の新たな舞台で社会還元をしていく。それが、JICA海外協力隊の役割です」
青年海外協力隊事務局長の大塚卓哉氏は、そう話す。協力隊は長年の功績をたたえられ、2016年にアジアのノーベル賞ともいわれる「ラモン・マグサイサイ賞」を受賞。
「今年7月末までに、99カ国へ、累計約5万8000人の隊員を送り出してきました。私たちは、人と人とのつながりを象徴するこの事業を継続させていくため、外務省などとも連携しながら、隊員の安全対策、健康管理を徹底し、今後も次世代の日本、そして世界をリードする人材をサポートしていきます」
隊員はグローカル人材へ。コロナ禍で新たな価値を発見
2020年、JICAの活動を揺るがす出来事が発生。新型コロナウイルス感染拡大により、途上国への派遣数がゼロになったのだ。
「当時、海外で活躍していた2000人近くの隊員を全員帰国させました。でも、彼らはくじけなかった。ある者はオンラインで現地の活動を続け、ある者は日本国内に滞在している外国人のサポートをした。さまざまな方法を駆使し、貢献活動を続けたのです」
中には、日本の地域課題への取り組みにシフトした隊員も。
「例えば、技能実習生が母国に帰って労働不足に陥った農家を救うため、隊員がチームを結成して農作業を手伝っていました。こうした活動はすべて隊員が自発的に行ったもの。どんな環境に置かれても、自ら課題を発見し、能動的に動く。コロナ禍は、隊員が日本において活躍できる人材として価値を発見する機会にもなりました」
協調性、実行力、リスク管理…企業成長に必要なスキルを習得
「隊員は現地の人と行動する中で自然とコミュニケーション力や協調性が高まります。また、周囲の人間を巻き込みながらPDCAサイクルを回していくことで、リーダーシップも身に付く。さらに、連続する予測できない出来事も数多く発生するため、リスクマネジメント能力も長けてくる。こうしたスキルを持った人材を獲得することは、企業にとって大きな資産となるでしょう」
近年は、JICA海外協力隊での活動がきっかけで、起業を通じて社会課題に取り組む選択をする隊員も増加。そんな社会起業家とつながる企業には大きなメリットも。
「グローバルな視野による市場拡大も期待できますが、やはり最大の武器は隊員が持つネットワークでしょう。170以上の職種があるJICA海外協力隊は、派遣先もさまざまですが、日本とまったく異なる環境で活動してきた彼らの結束力は強い。この異業種連携の宝庫ともいえるネットワーキングには、たくさんのビジネスチャンスがあるはずです」
人材不足をはじめ、多くの課題を抱える日本企業。JICA海外協力隊との連携が、新たな可能性を生むカギとなるかもしれない。
Case.1
JICA海外協力隊で始めた活動を事業化。日本企業とも連携しながら、アフリカの水問題を解決する
2018年1月から1年間、JICA海外協力隊のコミュニティ開発隊員としてアフリカのウガンダで井戸の維持管理を行った坪井彩氏は、村民が水を使った分だけプリペイドで支払う仕組み「SUNDA(スンダ)」を開発。起業後、5年間で約300基の「SUNDA」を設置した。
ウガンダでキャッシュレス決済。井戸に課金システムを導入
「私は新卒で大手電機メーカーに就職しましたが、社内で行った開発途上国向けのビジネスを考えるワークショップで、協力隊に興味を持ち、ウガンダに行くことを決めました。オンラインである程度は情報収集できたものの、具体的に事業化するためには、やはり現場に行く必要があると考えたんです」
現地の課題は村に1つしかない井戸の維持費が不足していることだった。その原因を探るため、坪井氏は何カ月もヒアリングを重ねた。
「維持費を各家庭が同額負担し、井戸は使い放題にしていたのですが、それを不満に思っていた人が多かった。あまり使っていないのに、同額支払うのは不公平だと。また、現金での回収は不正が起こりやすいため、不安を感じるという声も。そこで、地元のエンジニアと一緒に、半年かけて開発したのが、ウガンダでも普及し始めていたモバイルマネーを活用した、従量課金式ハンドポンプ『SUNDA』です」
村民の反応は上々で、当初の課題は解決。任期を終えた坪井氏は、大手電機メーカーに復職した。
日本企業とも共創しながら開発途上国の課題に向き合いたい
「駐在先の南アフリカで新たな事業に取り組んでいたのですが、『SUNDA』の事業も続けたくて。何カ月間も悩み抜いた末、ウガンダでの起業を決めました」
井戸の維持管理は、村だけでなく、途上国全体の課題でもあるので、ビジネスチャンスも大きい。そう考える坪井氏が手がける「SUNDA」には、実は日本のものづくり企業の技術も詰まっている。
「京都で開催されたビジネスセミナーに参加した際、地元の産業団体を通じて、京都の町工場とつながることができました。彼らは実際にウガンダにやって来て、同じ目線で状況を理解してくれました。そして、現地のエンジニアとの議論を何度も重ね、それまで現地でつくられていた『SUNDA』のデザインを維持しながら、耐久性を驚くほど高めることができたんです」
日本のものづくりの技術は途上国を救うポテンシャルを持っていることを、改めて実感した坪井氏。
「日本のものづくりのマインドが現地のメンバーにも浸透し始め、日本の技術を学びたいという人も増えています。私は、これからも多くの日本企業とつながり、日本と開発途上国を結ぶ役割も担っていきたいです」
Case.2
JICA海外協力隊で変わった人生観。不登校の子も生き生き学ぶ新しい形の教育を提供
大学4年生のときにJICA海外協力隊に応募し、グアテマラで教員活動を行った星野達郎氏。帰国後、小学校教師になるも、子どもも教師も生き生きできる教育の仕組みをつくろうと、2022年にNIJINを設立。日本最大級の教育コミュニティー「授業てらす」や、不登校生向けのメタバース小中学校「NIJINアカデミー」を運営している。
子どもと先生の目をキラキラさせたい
「日本の教育水準は高いが、子どもも先生も目が生き生きしていない。それが帰国して最初に感じたことです。一方でグアテマラは教育の質は低いが、子どもたちの目はキラキラしていた。そこで私は、質の高い教育も目のキラキラも実現できる教育環境をつくろうと思ったんです」
そう話す星野氏は、青森県の教師となったが……。
「教師は自分のクラスの子どもたちとは向き合えるけれど、隣のクラスのことには口出しできない。まして、ほかの学校なんて……。私が目指す教育を実現するには、仕組みから変える必要がある。そしてスピーディーに実践するなら、起業しかないと考えました」
自らさまざまな教育現場に足を運び、「この人」と思える教師に声をかけ、YouTubeなども活用しながら、生徒を募集した。
「2023年に開校したNIJINアカデミーは、子どもを型にはめず、その子のありたい姿から逆算して、一人ひとりに合った教育をオンラインで提供。不登校の子も、家の中から対話をしながら高品質な教育を受けることができます」
誰もが参画できる新しい教育の仕組みを
生徒数が500人を突破したNIJINアカデミーには、約200人のスタッフが在籍している。
「現役教師のほか、ボランティアも多く、さまざまな方がいろいろな形で参画してくれています。当社のゴールは利益の創出ではなく、教育から世界を照らすこと。だから、どんな方とも協働できる可能性がある会社だと思っています」
事業への思いを語る星野氏だが、JICA海外協力隊に参加しなければ、今の自分はなかったという。
「日本から出なければ、日本の教育問題に気づけなかっただろうし、損得勘定でしか物事を考えられなかったかもしれない。グアテマラの教育現場を体感し、海外という軸を持ったからこそ、新しい生き方を見つけることができた。協力隊での経験は人生における大きな財産です」
NIJINには、「日本人」「人」、そして「虹」という意味が込められている。星野氏は、子どもたちの色とりどりな個性を大切にする教育で、その未来に輝きを与えていく。
JICA海外協力隊で得た知識や経験を新たなフィールドで活用する隊員たち。その力はやがて世界や日本社会を変え、日本企業の発展にもつながっていくだろう。



