東大総長と考える、日本再生の人材マネジメント 【特別対談】東大 藤井輝夫×マーサー 草鹿泰士

社会の変化で浮き彫りになった多様性の欠如という課題
草鹿 バブル崩壊後30年、日本経済の低迷が言われて久しいです。
藤井 本学は、1877年の創立以来、近代国家の基礎を築くリーダーを育成してきました。世界で最初に工学部を設けた総合大学として、科学技術の面からも日本の近代化を担う人材の育成に貢献しましたし、第二次世界大戦後は高度な専門知識と技術を持つ人材の育成を通して、経済成長を支えてきました。2004年の法人化以降は、グローバル化や多様性の重視など社会の大きな変化に直面し、人材育成にも多岐にわたる影響がありました。
具体的な課題としてまず浮き彫りになったのは、ジェンダーダイバーシティです。質のよい教育と研究には多様性が鍵になりますが、本学の女性割合は学部学生で約21%、特任(有期雇用)を含めた教員で約18%と非常に低い状況です。
この課題に取り組む一環として本学は、企業等の意思決定層の女性割合の向上を目的とした世界的キャンペーン「30%クラブ」に参加しました。私はその大学グループのチェアとして、他大学と協力してジェンダーダイバーシティに関する教育・啓発活動に取り組んでいます。
女性の活躍を支援するには、社会や企業で活躍するロールモデルを示すだけでなく、雇用慣行や企業の制度、社会全体の意識改革など、多角的な取り組みが必要です。OECD諸国と比較して、日本の大学入学者の平均年齢は極めて低く、ほとんどの人が高校卒業後すぐに大学に進学しています。新卒一括採用という日本の雇用慣行も、学生の選択肢を狭め、窮屈な状況を生み出しています。
真のイノベーションを促進するためには、多様な経験を持つ人材が必要であり、そのためには、従来の雇用慣行やキャリア形成を見直さなければなりません。
本学は、従来の枠にとらわれず、グローバルな視点で活躍できる人材の輩出を目指し、改革に取り組んでいます。

1991年、日本興業銀行入行。1998~2000年、通商産業省出向。その後、BNPパリバカーディフ損害保険在日代表、EY税理士法人COO兼パートナー、ロボット投信代表取締役会長を歴任。2020年、マーサージャパン代表取締役社長に就任。1991年、慶應義塾大学経済学部卒業。2002年、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。
若年層のキャリア観は変化するも日本型人事の壁が可能性を阻む
草鹿 今の日本に必要なのは、イノベーションを起こせる人材、そして困難な状況にも立ち向かい、新しい道を切り拓ける人材です。企業が変わりつつある中で、東京大学もそのような人材を育成するため、具体的な取り組みを進めていらっしゃるわけですね。
藤井 おっしゃるとおりです。多様性と包摂性を重視し、さまざまなバックグラウンドを持つ学生を受け入れることで、新たな価値を創造できる人材の輩出を目指しています。
そのためには、先ほどお話ししたジェンダーダイバーシティに加えて、国際性の向上も課題です。学部レベルの留学生の少なさは深刻で、全体の2~3%程度にとどまっています。
本学では、留学生を増やすため、英語で学べる環境を整備し、新たなプログラムを開発しています。具体的には、2023年4月に「グローバル教育センター(UTokyo GlobE)」を設立しました。現代社会が直面する課題を英語で分野横断的に学べる「グローバル教養科目」を2024年度現在、60科目以上開設しています。
さらに、2027年秋には、「UTokyo College of Design」を開設予定です。学士・修士の5年プログラムで、学生自身がテーマを選定し、文理を問わず人文学、社会科学、自然科学、工学などにおける知識・専門性を統合して未来社会を「デザイン」する、従来とは異なる学びを展開します。定員は1学年100人程度で、グローバル入試を実施し、日本国内を含め世界中から学生を受け入れることを想定しています。授業はすべて英語で行う予定です。
草鹿 着々と改革を進めていらっしゃいますね。多様な人材が活躍できる社会の実現に向けて、大学と企業の双方が前例にとらわれない取り組みを進めていかなくてはいけません。
私どもは、さまざまな日本企業の組織・人事改革を支援していますが、経営者の意識は確実に変わりつつあると感じています。一見、動きは遅く見えるかもしれませんが、冒頭でも触れましたように、多くの企業がジョブ型雇用や人的資本経営など、従来の組織・人事の枠組みにとらわれない取り組みを進められています。
こうした動きの背景には、「そうしなければ優秀な人材を獲得できない」という強い危機感があるのだと思います。特に若年層は、キャリアに対する意識が高く、従来型の年功序列や終身雇用といった制度に魅力を感じていません。
むしろ、自分の能力や成果が正当に評価され、キャリアアップできる環境を求めています。その期待に応えるためには企業の人事制度の刷新が必要であり、そうした動きが広がっています。
藤井 それは心強いですね。女性と外国人が活躍しやすい環境づくりに加えて、企業にぜひ考えていただきたいのは、博士号取得者の活用です。彼らは高い専門性に加え、研究を通して培ってきた課題解決能力やコミュニケーション能力、グローバルな視野など、高いレベルのスキルを持っています。しかし、従来の日本型雇用慣行では、博士号取得者を適切に評価し、活用することが難しいケースがあります。そのことにも目を向けていただきたいです。
繰り返しになりますが、多様な人材がそれぞれの能力を最大限に発揮し、活躍できる社会を実現するためには、時代に合った形に雇用慣行を変えていかなくてはいけません。組織のリーダーである意思決定層全員が責任を持って取り組むべき、喫緊の課題ではないでしょうか。

1993年、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。1994年、東京大学生産技術研究所助教授。1996年、理化学研究所研究員。2007年、東京大学生産技術研究所教授。2015年、同所長。2018年、東京大学大学執行役・副学長。2021年、東京大学総長に就任。専門は、応用マイクロ流体システム、海中工学。
「社会をよくしたい」学生が増加 起業家精神の育成も後押し
草鹿 藤井総長は就任以来、大学は「社会的共通資本」であるという考えの下、社会や企業との連携を通じて社会課題に対する解決策を見いだすという姿勢を強く打ち出されています。例えば、企業との連携プロジェクトや大学発スタートアップの設立などを通じて、大学が持つ知的財産(IP)を社会に還元しようとされていますが、これらの取り組みは、イノベーションを生み出す人材を育成するという観点からも重要な意味を持つのではないでしょうか。
藤井 本学の産学協創は、未来に向けた大きな社会的課題を、企業と大学が一体となって解決していく点が特徴です。具体的には、組織対組織の包括的な連携の下、ビジョンを共有しながら、共同研究やインターンシップ、さらにはスタートアップ支援などを行っています。学生や教員それぞれが企業のグローバル拠点で実務経験を積んだり、自らの発想を生かして新事業を創出したりと、さまざまなアプローチで社会に貢献しています。多岐にわたる分野の専門家が集結していることが本学の強みであり、キャンパスの外に出て社会の複雑な問題に対し、学際的な視点から斬新なアイデアを生み出す動きが活発です。
また、最近は「自分の力で社会をよりよくしたい」と意欲を燃やす学生や、研究を通じて生み出したアイデアを世に出したいと望む学生が増えています。
起業やスタートアップといえば、AIやテクノロジーといったハイテク分野で投資を集め、脚光を浴びるイメージがあります。しかし、明治時代の国づくりを振り返ると、当時は国をよりよくし、社会全体を改善するために、皆がそれぞれのリソースを持ち寄って新しい仕組みを作り上げていました。渋沢栄一の「合本主義」に象徴されるように、銀行や郵便といった基幹インフラは、まさにその精神から生まれたものです。冒頭でお話があったとおり、本学は2027年に創立150周年を迎えますが、郵便、警察、鉄道など、私たちの日常生活に欠かせない多くの制度やインフラも同じく約150年前に創設されました。
民間がリソースを共有し、協力して社会を改善していこうとする「合本主義」の精神は、現代のスタートアップにも通じるものがあります。スタートアップは、社会をよりよくするために、何ができるかを真剣に考えて実行する方法なのです。そうしたことを伝えるために、2022年4月の学部入学式の式辞では「起業」をキーワードに、学生たちのチャレンジを後押しするメッセージを送りました。
草鹿 そのお話を聞いて、司馬遼太郎の『坂の上の雲』に登場する秋山好古・真之兄弟を思い浮かべました。彼らは日本の近代化のために必死に学び、国づくりに貢献しました。「自分が一日怠れば、日本が一日遅れる」と秋山真之は言ったそうです。当時の若者は、国家の未来を担う強い責任感と情熱にあふれていたように思います。当然、現代においては、時代環境も異なり、「国家のため」というのとはまた違うでしょうが、藤井総長のお話から、スタートアップを通じて社会や地域の改善に挑む若者たちの存在が増えていることを知り、頼もしさと大きな希望を感じます。
藤井 スタートアップに関しては、主に「グローバル」「ディープテック」「ソーシャル」という3つの方向性があると考えています。
ソーシャルという文脈では、学生が社会課題に真摯に向き合う事例が増えています。本学では、2017年度から、日本全国の各地域と協力し、学生が複数回の現地活動を通して地域の課題を発掘し、1年間じっくりと解決策を考え、実装する試みであるフィールドスタディ型政策協働プログラム(FS)を実施しています。
令和6年能登半島地震で深刻な被害を受けた石川県能登町はこのFSの連携地域の1つです。FSで能登町にお世話になった学生が中心となり、発災直後に自主的に復興支援チームを結成しました。実際に、学生15名が複数回、現地に足を運び、現在も精力的に支援活動を継続しています。
こういった社会的な活動を後押しするため、一般財団法人と連携して社会起業ワークショップを開催したり、経済同友会の共助資本主義の実現委員会との連携により大学連合を設立するなどの取り組みも行っています。こういった連携により、学生の皆さんがNPOやインパクトスタートアップの現場に直接触れる機会が増えることを期待しています。
近年、より多くの企業が社会課題の解決に向けた取り組みを経営上の重要事項の1つとして捉えています。本学としては、その活動に学生がアクセスしやすい仕組みを整えていきたいと思います。
自立した大学経営で挑戦の歩みを止めない
草鹿 イノベーションを起こせる人材の育成のための取り組みを展開されるにあたり、当然ながら必要な財源の確保や運用体制の確立は、その持続可能性を左右する重要な要素です。こうした点について、どのような体制を構築されているのでしょうか。
藤井 大学の経営力とは、大学自身が重要と考える学問分野や活動を、自らの力で発展させられる能力だと考えています。
法人化以降、運営費交付金が年々削減される中、財源確保は引き続き課題となっており、近年では大学債なども活用し、自立した経営を目指すようになりました。従来の補助金制度は期間が短いことも多く、雇用した人材の継続雇用も困難です。また、予算決定から執行までの時間差により、迅速な対応が難しい状況です。
長期的な視点に立った財源確保のためには、米国の大学で広く行われているように、基金を積み立て、運用益を長期的な資金とする方法が有効です。近年、日本でも大学が市場で資金運用できるようになりましたが、まだ始まったばかりです。本学が独自に自由裁量の利く資金を長期的に確保するためには、このような新しい資金調達方法を積極的に推進する必要があります。
草鹿 欧米の大学は外部のプロフェッショナルも活用しながら、莫大な資金を運用しています。東京大学でも補助金型からエンダウメント型への移行やCFOやCIOを外部から招聘するなど、初の試みにも積極的に取り組んでいらっしゃいます。日本の大学も、今後その方向に向かっていくのではないかと感じています。
藤井 内部にCFOやCIOなどのプロフェッショナルを配置し、まだ規模は小さいですが、市場での運用を進めています。今後、基盤をさらに整備して、独自の資金運用体制を拡大していきます。
草鹿 大学が自立した財務基盤を構築することで、より機動的で持続的な取り組みが実現され、学生や研究者が安心して新たな挑戦に取り組める環境が整うことに大いに期待しています。
今回の対談を通じて、イノベーションを推進する人材の輩出に向けて、東京大学の改革への強い決意を感じました。また現在、産業界が進めている人事制度改革の方向性を歓迎されている印象も受けました。
藤井 ご認識のとおりです。これからも果敢にチャレンジする人材を育てていきますので、産業界も既存の枠組みにとらわれず、改革を進めていただきたいと思います。