「50年前は空き地や田畑」「昔は髙島屋側が主役」…商業施設「ライズ」ですっかりおしゃれタウンの二子玉川。開発の歴史は奥深いものだった
「二子玉川ライズ」が誕生したあとも、「玉川高島屋ショッピングセンター」は高級なラインナップのテナントミックスにより差別化されているため、うまくすみ分けながら繁栄を続けている。
「二子玉川ライズ」の計画は駅東側に賑わいを取り戻すべく始まった
「玉川高島屋ショッピングセンター」の開業によって人の流れが駅西側に移り、東側は寂れてしまった。周辺には空き地や田畑が残っていた。それを受け、1982年6月に地元で発足した「再開発を考える会」が「二子玉川ライズ」開発の始まりである。
かつて賑わいを見せた「二子玉川園」が1985年に閉園。その跡地利用も含めて、1986年に東急が再開発のプロジェクトチームを立ち上げた。1987年には実験的な事業として、現在の「二子玉川ライズ・ドッグウッドプラザ」の前身となる「Dogwood Plaza」が開発された。


二子玉川の再開発は東急の重点事業と位置づけられたが、バブル崩壊の影響を受け、計画は思うように進まなかった。紆余曲折を経て都市計画が決定されたのは、2000年6月のことである。
再開発は第1期と第2期に分けて進められることになった。いずれも事業主体は再開発組合で、東急と東急不動産が組合員として事業に参加した。
「再開発を考える会」の発足から25年が経過した2007年に、ようやく着工を迎える。2008年4月には、再開発事業でつくられる街が「二子玉川ライズ」と名付けられた。
第1期事業の集大成として、「二子玉川ライズ・ショッピングセンター」がオープンしたのは2011年3月19日。当初は3月17日のオープンを予定していたが、東日本大震災の影響を受け延期を余儀なくされた。それでも2日間だけの遅れでオープンに漕ぎつけ、避難場所の提供や食材の販売を行ったのは東急の企業努力の賜物だろう。
第2期事業の竣工で「二子玉川ライズ」が完成。世田谷区初のシネマコンプレックス「109シネマズ二子玉川」や「蔦屋家電」を含む「テラスマーケット」が2015年4月に開業した。
オフィス棟には楽天本社が移転し、一棟丸借りしたことも話題を呼んだ。
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