「50年前は空き地や田畑」「昔は髙島屋側が主役」…商業施設「ライズ」ですっかりおしゃれタウンの二子玉川。開発の歴史は奥深いものだった
二子玉川には江戸時代から、大山街道の拠点である宿場があった。多摩川を横断する手段として「二子の渡し」と呼ばれる渡し場があり、茶屋や食事処ができて隆盛を極めた歴史がある。
明治時代後期、1907年に玉川電気鉄道(のちに東急に合併)が開通し、現在の二子玉川駅である玉川駅が終点になった。
多摩川が流れ、緑豊かな丘があり、富士山も望める二子玉川。東京都心から近く、大正時代から昭和初期には観光景勝地として発展した。多摩川で釣れる鮎料理を提供する料亭や旅館が建ち並び、行楽地となった。
しかし、周辺の住宅開発にともなって多摩川の水質が悪化し、景勝地の価値が下がってしまう。そこで1922年、玉川電気鉄道によって市民のレジャー施設「玉川第二遊園地」が開発された。二子玉川は郊外のレクリエーション拠点となり、多くの人々を集めた。
第2次世界大戦中の一時閉園を経て、1954年に「二子玉川園」と改称。駅の名称も「二子玉川園駅」に変更された。
二子玉川駅の西側を変えた「玉川高島屋ショッピングセンター」
二子玉川の街を変える契機となったのが「玉川高島屋ショッピングセンター」である。
「玉川高島屋ショッピングセンター」は日本初の本格的な郊外型ショッピングセンターで、1969年に誕生した。遊園地があり賑わいを見せていた駅の東側と対比して、発展していなかった駅の西側に開発された。

「玉川高島屋ショッピングセンター」の開業によって、二子玉川は行楽地から商業の街へと変貌する。『ショッピングモールの社会史』(斉藤徹著)では、以下のように書かれている。
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