失業状態からネットフリックスと協業するまでに成長した台湾の制作会社、躍進する映画とドラマのエコシステムをプロデューサーに聞く
その頃、『海角七号』や『セデック・バレ』を撮ったウェイ・ダーシェン(魏徳聖)監督の姿勢からも大きな影響を受けました。既存の産業構造に頼らず、自分の信じる作品を作り続け、結果として観客の支持を得ていました。その姿を見て、失敗しても前向きに受け止め、「欠けていることは、むしろ力になる」と冷静に考える力が自分にも芽生えたのです。
以降、自らストーリーの開発からマーケティングまで一貫して考えるようになりました。転機となったのは、チェン・グォフー(陳國富)監督(『グリーン・デスティニー』のアジア制作総監督として携わったことで知られる台湾を代表するプロデューサー)との出会いです。まるで師匠のような存在で、何度も相談に乗ってくれました。彼との対話を通して、自分の中にあった課題や想いを、初めて言葉にできました。
「どう勝つか」ではなく「どう負けないか」
――チェン・グォフー監督の協力もあり、『紅い服の少女(紅衣小女孩)』(監督:程偉豪 /2015年)が大ヒットしたのですか?
『紅い服の少女』シリーズは、当初から3部作として企画しました。過去の失敗を繰り返さないため、続編形式でリスクを分散しながら、人材育成の時間も確保できると考えました。最初はチェン監督も半信半疑でしたが、私の言葉に何か「普通とは違うもの」を感じたらしく、投資を決めてくれました。

私が制作に挑む「勇気」は、「足りなさ」から来ていると思います。特別な芸術教育を受けたわけでも、才能があったわけでもないからです。ただ、すでに多くの資金を失っていた私は、このシリーズで「もう失敗できない」と強く感じていました。
物語を本当に語れるか、大物俳優を起用できるか、資金を調達できるか、前作の失敗を踏まえ、「どう勝つか」より「どう負けないか」を考え抜きました。
まず映画館の運営者である投資家へ働きかけました。彼らもヒットコンテンツを求めており、利害が一致しています。次に着目したのがホラー映画というジャンルでした。日本やタイのコンテンツは人気が高く、一定の観客層も存在しているのに、当時の台湾では30年近く制作されていませんでした。完成度が理想的でなくとも、ある程度の興行収入が見込めるというデータもあり、私の「負けない戦略」に合致するものでした。
――台湾ホラーが活況な現在からは信じられないような話です。
限られた予算で有名俳優を起用できないという制約も、ホラー映画においては逆に利点でした。タイにも足を運び、現地のホラー映画の撮影手法を学びました。マーケティングチームもないので独学で調査・実行し、プロモーションにはタイの有名な都市伝説「ナナの幽霊」を取り入れるなど、「負けないための要素」をたくさん投入しました。
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