思い込みは敵か味方か?“認知バイアス”が私たちを守る理由とは?「バイアスを持たないようにしよう」という努力は無駄である
もちろん、インターネットがない時代、それどころか「歴史」といわれる頃から「確証バイアス」はありました。
作物を育てているときに、ちょっとした気候の変化や作物の状況を見逃さずに対応するためには、「確証バイアス」が不可欠です。広い森の中で、オオカミやクマなどの動物の痕跡をすばやく発見するためにも「確証バイアス」を働かせてきたはずです。
外界にある情報は無尽蔵です。そのすべての情報に注意を向けようとしたら、その間に身に危険が迫っているかもしれません。そうした環境で生き抜くには、ある種の仮説を持ち、自分の探したい情報を探すしかないでしょう。
つまり、人間である限り、どんな人でも「確証バイアス」から逃れることはできないのです。
しかし、それがエコーチェンバー現象を受け入れるほどに必要かというと、私はそうは思いません。エコーチェンバー現象が今後ますます増幅されれば、待っているのは、誰もが「自分の持っている情報こそがみんなに注目されていて、みんなが同じ意見を持っているものなのだ」という思い込みを持っている、そんな世界ではないでしょうか。
自分と他人の違いを認められない、物事を多角的に捉えることの必要性さえ感じない人が増殖してしまった社会は、とても危険です。
私たちは、はるかかなたの祖先から、バイアスを持っています。そのバイアスを過度に増幅させるような仕組みには、注意を払うことが不可欠なのではないでしょうか。
【バイアス③ 】知ってるつもりバイアス 他人の知識を自分の知識と思い込む
次に取り上げるのが、「知ってるつもりバイアス」です。人には「世界の誰かが持っている知識=自分の知識」というバイアスがあります。
認知科学者のスティーブン・スローマン教授は、『知ってるつもり 無知の科学』(フィリップ・ファーンバックとの共著、土方奈美訳、ハヤカワ文庫NF)の中で、「多くの人は、自分の中にある知識と外にある知識の区別があまりついていない」と指摘しています。もしかするとこれは、新聞や本を読むなど、社会で起こっていることやニュースによく接している、勉強熱心な人に起こりがちのことかもしれません。
知り合いの文具メーカー勤務の会社員の方から聞いた話なのですが、その会社で女子高生向けの文房具の企画会議をしていた際、若い女性社員の意見に対して、年配の部長の男性がダメ出しをすることがあったそうです。そのときの部長の発言は、次のようなものだったといいます。
「女子高生なら、その企画に賛成はしないよ。イマドキの女子高生の好みはずいぶん変化しているからね」
部長は滔々(とうとう)と語ったとのこと。その間、つい数年前まで女子高生だった若手社員や女子高生の娘を持つ母親社員は、ずっと下を向いていたといいます。
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