製薬業界「デジタルありき戦略」がなぜ危険か? 日米欧で共通する、5つの戦略モデルとは何か

(取材・撮影は2025年3・4月に実施)
「カスタマー」の明確化が初めの一歩
岡本(日本) カスタマーエンゲージメントとはいったい何でしょうか。とくに製薬業界において持つべき視点を、日本、米国、欧州の現状を踏まえてお聞かせください。

ライフサイエンス&ヘルスケア シニアマネジャー
岡本 翔子 氏
田尾(日本) まずは業界を問わず、カスタマーエンゲージメントは「カスタマー」を定義することと、「エンゲージメント」を設計することに分けて考えることができます。
カスタマーの定義においては、製薬企業としては医師をメインと考えることが多いですが、処方の意思決定に影響を及ぼすそのほかの医療従事者や患者、さらには自治体なども考慮する必要があるでしょう。
エンゲージメントの設計はマーケティングの要素となりますが、製薬業界は特殊な環境であるため、マーケティングの典型的な4Pフレームワーク(Product、Price、Place、Promotionの4つからなるフレームワーク)がそのまま通用しない側面もあります。
日本では、公的医療保険が適用されるため薬価は国によって決定され、プロモーションにも多くの規制があります。こうした多くの制約を伴う環境も踏まえたうえで、顕在的にも、潜在的にも顧客のニーズを的確に捉え、適切なタイミングで情報を届けることがつねに重要となります。
ケイト(米国) 田尾さんの定義づけは的確ですね。「顧客は誰なのか」、これはカスタマーエンゲージメントを考える際の基本です。米国では民間医療保険が主流で、保険によって保障内容や自己負担額が大きく異なります。
そのため、医師に加えて、患者とのエンゲージメントをどのように設計するか、長期的な視点で考えることが求められています。

ジー・パトリシア 氏
パトリシア(欧州) お二人が話したこと以外の観点でお話しします。近年、製薬業界におけるカスタマーエンゲージメントが複雑化していることにも留意すべきです。顧客も、医療従事者や患者に加え、患者団体、医療機関、クリニック、薬局、オンライン薬局、保険会社、検査センター、政府など多様化が進んでいます。
このような状況においては、あふれる情報をいかに選別して顧客の刻々と変化する個別ニーズに応えられるか、顧客と双方向のコミュニケーションを実現できるか、また、そのために競合他社と差別化された手法を取り入れられるかが問われるでしょう。
カスタマーエンゲージメント 5つの戦略モデル
岡本 それでは、5年後、10年後を見据えたとき、この状況はどのように変化していくのでしょうか。将来のカスタマーエンゲージメント戦略について、お聞かせください。
ケイト デロイトでは調査・研究を重ね、「インテグレーター型」「コンシェルジュ型」「マス訴求型」「ライトタッチ型」「アウトソース型」という5つのカスタマーエンゲージメント戦略モデルを設計しました。

パトリシア オペレーション負荷やシステム投資を軽減しつつ、多様なエンゲージメントモデルを展開することは、1つの部門だけの努力では不可能です。セールス、ブランドチーム、コマーシャルエクセレンス(組織全体のコマーシャル戦略の強化)、アナリティクスなどの複数のチームが協力する体制の構築や、全社に適切な意思決定を支えるガバナンスなども必要でしょう。

ライフサイエンス&ヘルスケア パートナー
田尾 隆幸 氏
田尾 5つのカスタマーエンゲージメントモデルを実現するうえで、データは重要な役割を果たします。
データの量にこだわるよりも、信頼できる客観的なデータをいかに収集できるかが、顧客個人のニーズを正確に把握し、的確な情報提供をするためのカギとなります。
とくに日本では、医療データの活用はまだ黎明期です。顧客に対して有益な情報・サービスを提供するために、規制・ガイドラインを業界として提言していく「ルール形成」も大事な取り組みになっています。
「デジタルの導入ありき」の戦略は危険
岡本 テクノロジーが今後のカスタマーエンゲージメント戦略で大きな役割を担うことがわかりました。その中で、製薬業界はそれらをどのように扱うべきでしょうか。

カスタマーテクノロジー シニアマネジャー
西脇 謙一 氏
西脇(日本) カスタマーエンゲージメント戦略を展開するうえで、データ活用が重要となります。とくに、テクノロジーの活用が不可欠な場面は2つあります。
1つは顧客の情報とアクティビティー、顧客に対するエンゲージメントの履歴などを収集して多角的な分析をすること。もう1つはパーソナライズされた情報や顧客のニーズに合った提案をすることです。
例えばウェアラブルタイプのIoTデバイスの利用により、患者の状態を深く知り、変化を機敏に捉えることで、より適切な応対を実施できます。
これは患者と深い関係を築くうえで、効果的なオプションとなるでしょう。また、健康状態と薬剤を摂取した後の変化を適切に観察することは、今後の製剤開発の品質向上に役立ちます。
さらに情報提供においても、テクノロジーは効果を発揮します。ペルソナを理解することで、顧客それぞれに応じた情報提供が可能になります。生成AIの活用によって、医療従事者向けのマニュアルや患者ごとの治療法の円滑な提案や説明スクリプトの自動生成が、数年以内に可能になると考えられます。
岡本 そうした恩恵が期待できる中で、製薬企業が注意するべき点は何でしょうか。
田尾 近年目立つのは、「デジタルの導入ありき」で検討を進めてしまうケースです。「手段の目的化」ともいわれますが、何のためにテクノロジーを活用するかがわかっていないと、現場の理解も得られません。
結果として導入したデジタルツールが使われず、成果も生まれない「負のスパイラル」に陥ってしまいます。
必ずしも、すべての製薬企業が最新の技術を導入する必要はありません。重要なのは、自社の状況に沿ったカスタマーエンゲージメント戦略を立て、それを実現するのに適切な技術を選ぶことです。
西脇 新たな技術を導入すれば、顧客とのコミュニケーションも変化します。製薬企業は、医療情報担当者(MR)と医師のフェース・トゥ・フェースのやり取りを重視してきました。ですが、近年はデジタル技術を用いたコミュニケーションへと移行しつつあります。
例えばウェビナーを含むオウンドメディアやペイドメディアの活用、マーケティングの自動化などによる情報提供が行われつつあります。今後、これらを活用したカスタマーエンゲージメントがさらに加速するでしょう。
実装・運用段階まで伴走支援するデロイト
岡本 カスタマーエンゲージメント戦略を支援するうえでの、デロイトの強みは何でしょうか。

ホワイト・ウォルターズ・ケイト 氏
ケイト 当社では、多種多様な専門家が領域を横断して製薬企業を支援しています。豊富な経験を駆使し、変化するカスタマーエンゲージメント戦略への対応方法を的確に助言することで、効果的かつ効率的な変革を後押しします。
パトリシア 当社は国境を超えた連携体制の下で各地域に深く根差したチームを擁しています。世界有数のテクノロジー企業とも連携し、グローバルな協力体制を構築していることが特徴です。
加えて、当社のリスク・規制アドバイザーによるサポート体制により、業界特有の複雑で極めて地域性の強い規制への対応や、データプライバシー、サイバーセキュリティーなどの対応にも当たることができます。
急速に変化する世界の中で、コンプライアンスを順守しながらカスタマーエンゲージメントの戦略を設計・実装する当社の信頼は、こうした体制によって裏付けられているのです。
田尾 戦略の提案のみをしているわけではないということを、ぜひお伝えしたいです。私たちは「AIOモデル」と呼んでいますが、アドバイス(Advisory)から実装(Implementation)、運用(Operation)までエンド・トゥ・エンドの支援を行い、クライアントの変革に伴走しています。
岡本 最後に、カスタマーエンゲージメントの変革を目指す製薬企業に対し、メッセージをお願いします。
ケイト テクノロジーが目まぐるしく変化しているからこそ、カスタマーエンゲージメントの変革に取り組む絶好のチャンスといえます。実行に移すべきタイミングを計っている場合ではありません。いかにアプローチしていくかを具体的に考え始めるべきです。
当社ではこの取り組みを通じて多くのお客様をご支援してきた実績があり、全力でサポートさせていただく準備を整えています。ぜひ、ご相談ください。
パトリシア カスタマーエンゲージメント戦略に本腰を入れて取り組む製薬企業は増加傾向にあります。競争力を維持するために、企業には数年越しの変化ではなく、急速に変化する状況への早急な適応が求められます。
とくにリーダーには、危機感と、短期・長期的な目標と成果についての明確なビジョンを持って取り組んでいただきたいですね。
田尾 カスタマーエンゲージメントは、一度考えたら終わり、ではありません。とくに近年の環境変化が著しい状況においては、考え続け、適応し続けることが大事だと思います。ぜひ一緒に考え、実行していきましょう。