「1970年大阪万博」公式ガイドを読み返してよみがえってきた小学5年生当時の強烈な記憶
それも公式ガイドには載っている。
山際電気は迎賓館内のシャンデリア、服部時計店はEXPO‘70オフィシャルタイムシステム、および時計並びに案内所。公益財団法人全日本仏教会は西口付近休憩所、京都商工会議所は日本庭園茶室。抹茶の各流家元は、日本庭園茶室の賓客もてなしに人を出している。

そうした施設備品で目に付くのは「吸い殻入れ」の多さだ。13もの企業が、会場内の各エリアに大量の吸い殻入れを寄付している。
今回の大阪・関西万博は「全面禁煙」のはずだったが、反対の声もあり2カ所に喫煙所が設けられたが、当時は当然ながら、いたるところに紫煙が漂っていたのだ。現代の人が足を踏み入れれば、いがらっぽさに辟易するかもしれない。
ほかにも大阪府傷痍軍人会東住吉支部などが、身体障がい者用ベンチを寄贈している。戦後まだ25年、傷痍軍人はあちこちで見かけたものだ。
パンフレットの値段は跳ね上がった
こうして振り返ると、当時の日本は「一生懸命」を通り越して「必死」に万博を成功させようとしていたように思う。「世界の人が来るから、恥をかきたくない」という思いも大きかったのだ。
筆者は小学校から行ったときに、何でもない外国人に群がってサインをねだった記憶もあるが、とにかく高揚感は半端ではなかった。

思い立って、久々に万博会場に行ってみた。今は万博記念公園となっている。入り口には、万博を推進した「財界総理」石坂泰三の胸像がひっそりと建っている。
「太陽の塔」は、あの日のままのように見えるが、実は「黄金の顔」は2代目だ。インバウンドの団体客が記念写真を撮っていた。裏の顔や、保存されているお祭り広場の大屋根の一部も撮った。

このパンフレット、保存している人が結構いたようで、以前、アマゾンでは1000円くらいで売られていたが、少し前に見ると1.65万円に跳ね上がり、今は売り切れている。
大阪・関西万博の高まりとともに55年前の熱気を感じたい人が増えているのだろう。
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