「1970年大阪万博」公式ガイドを読み返してよみがえってきた小学5年生当時の強烈な記憶
本体352ページ、持ち重りのするこの公式ガイドを開くと、そうした思いがよみがえってくる。今、読み返して驚くのは、EXPO‘70に関わった顔ぶれの豪華さだ。
以下、「※」は文化勲章受章者。
公式ガイド1つとっても、表紙は戦後を代表する洋画家、猪熊弦一郎の『斜線都市』。猪熊は建築家、丹下健三※と仕事をすることが多かった。丹下はEXPO‘70では基幹施設設計のプロデューサーであるとともに公式ガイドの編集委員だ。
このガイドブックには、いくつかの挿画があるが、描いたのは日本画家、東山魁夷※、平山郁夫※洋画家の杉本健吉だ。
写真は文豪の肖像写真で知られる林忠彦など、イラストにはおおば比呂司の名前がある。
他にも豪華な顔ぶれが多数
日本万国博覧会協会の名誉会長は総理大臣の佐藤栄作、安倍晋三元首相の大叔父だ。実質的な組織トップの会長は経団連会長で「財界総理」と言われた石坂泰三、理事には国鉄総裁の磯崎叡、東大総長、茅誠司※、日本医師会会長の武見太郎の名がある。
テーマ館専門委員には作家、大佛次郎※、今年2月に亡くなった作家、曽野綾子、中国史学者の貝塚茂樹※、その弟でノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹※。
場内輸送委員会には新幹線生みの親の島秀雄※、財務委員会には松下グループ創業者の松下幸之助、催し物顧問には作家、文化庁長官の今日出海、作曲家、團伊玖磨、万国博ホステス指導顧問には裏千家家元夫人の千登三子、美術顧問には細川護熙元首相の父で、元首相秘書官の細川護貞、テーマ展示プロデューサーに芸術家、岡本太郎、サブプロデューサーに作家の小松左京、作曲家の黛敏郎、公式記録映画の総監督に映画監督の谷口千吉。
岡本太郎は、丹下健三が設計した「お祭り広場」の大屋根を突き抜けてそびえるランドマークタワーの「太陽の塔」をデザインして、丹下と大げんかになったとの逸話がある。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら