「新人議員くんね、商品券を10万円分あげよう」→「法的に問題ない」はなぜ悪手だったか。石破首相「ねっとり構文」が不祥事に悪手なワケ
しかし今回の報道対応においては、これが裏目に出たように感じられる。おそらく石破氏は、政治家として「法解釈」を説明することが、この場にとって最善な対応だと考えていたのだろう。
ただ、それは「キッパリとした謝罪」を求めるネット時代の世論には、あまり適した手法ではない。「言い訳がましい」「開き直りだ」などと受け取られ、逆効果になってしまったのではないか。
「永田町の当たり前」を「国民の当たり前」にできず
宰相に重要な要素は「一般国民とのギャップ」を、いかに機敏に感じ取るかだ。石破氏は「冷や飯」の過去から、自民党内での異端児としてのイメージが定着しているが、一方では「昭和に初当選した自民党の世襲議員」でもあることを忘れてはいけない。
鳥取県知事や参院議員を歴任した父の死後、田中角栄元首相から背中を押されて、政界入りした。もちろん世襲議員であっても、それがプラスになる部分もある。地盤(支持者)、看板(知名度)、カバン(資金)を開拓しなくていい立場ゆえに、目先だけではない長期的なビジョンのもと、政策重視の活動ができるのは、2世・3世の強みだ。
自民党内にありながら「スレていない誠実な政治家」といった印象が作られていったのも、まさにこうした「世襲ゆえの余裕」があったからだろう。しかし、国のトップである首相の立場は大きい。国民から向けられていた同情は、権力者に対する鋭い目に変わっていく。その変化にどこまで対応できていたか、今回の対応では疑問が残る。
首相就任から、すでに半年近くが経過している。時代に合わせて感覚をアップデートするには、それなりに十分な準備期間だろう。もちろん40年近い議員人生で育んだ「永田町の当たり前」を、わずか数カ月で一変させることは難しい。ならば、事務方がしっかりコントロールして、令和の時代に合った「国民の当たり前」に引き戻すべきだった。
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