「新人議員くんね、商品券を10万円分あげよう」→「法的に問題ない」はなぜ悪手だったか。石破首相「ねっとり構文」が不祥事に悪手なワケ
筆者は総裁就任時に、石破氏が「イジられ宰相」のポジションを確立できれば、長期政権も想定されるとの見立てを示した。それと同時に「どこか『古い政治』の面影がちらつく」「『昭和の自民党』の系譜にあることは間違いない」との警鐘も鳴らしていた。結果的には、悪い予想が当たったと言えるだろう。
「古い自民党」×「ねっとり構文」で全て悪い方向へ
ネットの反応を見る限り、これまで石破氏に政治改革を期待していた人々は、今回のことで「石破さんも結局、古い自民党議員だったのね」と失望している。繰り返すようだが、国民は法的見解ではなく、「私がどう感じたか」の道徳や倫理観を物差しに見ている。
今後もし、商品券について司法判断に委ねて、石破氏側の勝訴で確定したとしても、「あの時に言い訳をした人だ」との認識は拭えない。
かつては可視化されなかった「有権者のお気持ち」が、SNSによって共有されるようになった。少しでも「納得できない余地」を残してしまうと、そこから不信感が広がり、ネット空間で増幅される。
昨秋の衆院選は、自民党にとって苦しい戦いとなり、結果として30年ぶりの少数与党政権となった。今回、商品券が渡されたとされる新人議員は、いずれもそんな逆風を乗り越えて、永田町にやってきた。つまり、「時代に合った風を吹き込んでくれる」といった期待を背負って、議席を託された人々だ。
彼ら彼女らは、旧態依然とした自民党、そして政界を変えるために送り込まれた。そんな新人議員に商品券を渡せば、どう見られるか。せっかく派閥を解体したにもかかわらず、「派閥の領袖(りょうしゅう)から渡される餅代」だと感じさせてしまえば、親分・子分の関係性に逆戻りしてしまう。党再生から遠ざかるおそれがある行為だと、石破氏も周囲も、気が回らなかったのだろうか。
こうして考えてみると、今回の対応からは、発想も事後対応も「古い自民党」から脱却できていない現状が見受けられる。そこに石破氏の「ねっとり構文」が掛け合わさった結果、全てが悪い方向へと傾いてしまった。世間とのズレを認めて、一言だけ「時代に合わなかった。申し訳ない」で終わらせていれば、まだ傷は浅かっただろう。
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