受験生だった人に伝えたい、合格・不合格という結果との向き合い方。塾講師歴23年の著者が考える、合否に”強く固執する”と嵌ってしまう罠の存在
合格した人たちが結果として社会的評価を容易に獲得してしまうために、自己と他者の視線が一体化し、自分自身を改めて深く分析することが難しくなるのに対して、不合格の人は強制的にその軸から引き離され、「本当の自分は何を望んでいるのか」「他者の欲望や視線に流されず、自分自身として生きるとはどういうことか」という問いに直面することが可能になります。
不合格の人は、今こそ他人のまなざしを振り切って、自分自身のために生きるとはどういうことか、合格した人以上に深く考えることができるチャンスですから、それを生かしてください。
自分自身を新たに作り直せるか
どのような結果であれ、皆さんの人生はまだ始まったばかりで、浮かれすぎるにも、絶望しすぎるにも、まだ早すぎます。合格した人は合格という新たな現実を前に、自分自身がこれまでとは別の人間になってしまったことを受け入れ、不合格だった人は、不合格によって初めて見えてくる景色のなかで、自分自身の新たな輪郭を見出してください。
合格を手にした人も、不合格だった人も、この節目を糧にしてほしいのです。節目とは、単なる人生の区切りではなく、それまでの自分を強引に引き剥がすようにして、否応なく自分自身の変容を突きつけられる経験です。それは痛みを伴いながらも、新しいあなたの誕生を告げるための予兆なのです。だからこそ、「節目が糧になる」というのは単なる比喩ではなく、まさに自身の変容を食らい、あなた自身を新たに作り直すことにほかなりません。
受験という試練を経て、いまここに立つ皆さんに、この春の到来がもたらしたあなた自身の変貌と、それぞれが踏み出す新しい生の輝きに対して、心からの祝福を贈ります。本当におめでとうございます。
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