受験生だった人に伝えたい、合格・不合格という結果との向き合い方。塾講師歴23年の著者が考える、合否に”強く固執する”と嵌ってしまう罠の存在
次に、「モラトリアム型」と呼ばれる生徒たちがいます。実際には誰でも人生のある時期にモラトリアム的な状態を抱えているものですが、特に受験期にこれが強く表れると、本人は努力しようと焦りつつも、目標が曖昧であり、もっと言えば、目標の価値自体を疑うような状況ですから、迷走を繰り返し、自己嫌悪に苛まれる人も少なくありません。
このような「モラトリアム」真っ只中の生徒たちは「中二病」として揶揄されやすく、深刻化すれば社会不適合の烙印さえ押される場合があります。そのため、多くの人が急いでこの恥ずかしさを回避して、他人から指をさされないようにしようとします。
しかし、本来、悩む時間というのは人それぞれであり、「恥ずかしい」状態を無理に克服する必要などありません。むしろ、自分に必要な長さだけ悩むことを許してほしいし、自分のペースで進めばよいという価値観も同時に存在すること、むしろ、そういった状態をキープすることによって生まれる可能性に価値を見出す人たちもいることを知ってほしいと思います(芸術の一部にはそういった傾向があります)し、社会を本当に「変革する」意識と力は、そのような葛藤なしには生まれえないものと僕自身信じています。
悩みの時間こそ思春期の特権
最後に、「アイデンティティ拡散型」の生徒たちがいます。自分が「何者か」という問いに対して混乱し、明確な目標や方向性がまったく定まらないまま、日々を漫然と過ごしてしまう生徒です。彼らは、将来について考えること自体を避ける傾向があり、はじめから受験と向き合うということを回避しています。そのような状態は、傍から見ると「無駄な時間」にしか見えませんし、自身でもそう感じて自己否定に苛まれるかもしれません。
しかし、モラトリアム型にしても、アイデンティティ拡散型にしても、実際にはその悩みや迷いの時間こそが、思春期という時期にしか味わえない大切な経験であり、自分自身と向き合う貴重な機会でもあります。
「拡散型」の回避的な行動は、「問題に正面から向き合っていない」という印象を与えがちですが、彼らは見方を変えれば、誰よりもアイデンティティの問題を正面から受け取ってしまい、身動きが取れなくなっているのです。だから、ここに該当する生徒たちは、これまでに見た通り、決して自分だけが問題を回避しているわけではないことを知った上で、直接的に勉強につながることもつながらないことも含めて、あらゆる方面から自分に対してさまざまなことを仕掛けてみるということにチャレンジしてみてほしいのです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら